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生成系AIと哲学者のサッカー

「銃夢」という漫画があります。その未来世界では老いから解放される技術が存在します。初めはそれは限られた人のみが使える技術でしたがある事件により一般に広まります。本作はその後の世界が舞台となっています。

老いや死から逃れたいというのは普遍的な願望です。僕もできることなら、永遠に美味しいものを食べたり、好きなものを作ったり、ずっと未来のゲームで遊んだりしたいです。

けれど望んだ技術を手に入れたはずの銃夢の世界では、貧富の格差の拡大、戦争の増加、治安の悪化、倫理観の低下などが起きています。それは個々人にとっても以前の世界より幸せかはわからないような状態です。もしかしたら技術は独占されていた方がマシだったかもしれません。

さて、現実に目を向けると、生成系AIがとても話題です。今ものすごく流れが早いので、このテキストが公開される頃にはもう、少し古い話をしてしまっているかもしれませんが。

今は主にテキストと画像の生成がそれぞれ盛り上がっています。実際に日々触ってみてこれは本当に驚くようなものです。すぐに人間のあらゆる行為をかわってくれるようなものではまだないですが、一部のタスクは非常にうまくこなしてくれます。

これらの生成系AIの技術も、初めはその公開について、非常に慎重に扱われてしました。こんなことができるようになったよ、という結果やデモは発表するけれども、企業内の利用にとどめたり、一般に利用できるようにするとしても人数を限定していたり、影響をみながら徐々に利用範囲を広げていったりしていました。

それは開発した企業が自社の利益のためにしている面ももちろんあるでしょう。しかしそれだけではなくて、銃夢の不老化技術のように、技術が広く一般に広まった場合に今の世界にどんな影響があるかわからず慎重になっていたという面も少なからずあります。

しかし画像生成AIに関しては「Stable Diffusion」がその状態を突然に変えました。大企業や高度な技術者でなくとも、多くの人々が驚くほどのクオリティの画像を生成できるようになったのです。

「乗馬する宇宙飛行士の写真と指定して出力された画像
自分でStable Diffusionで生成した、哲学者が未来でサッカーをしている画像

少し前だと生成した画像や文章は結構破綻していたりして、これはAIの生成物だな、とわかるような物でした。そのころはまだ破綻のない綺麗な絵を出すのは大きな労力と高い技術が必要でした。もしくはそもそも出せませんでした。でもそれが特有のノイズとして、面白かったりカッコよかったり美的だったりという観点で捉えられていました。AIを使った表現などにもそういう特徴を利用したものが多かったように思います。つまりまだまだ、普通に使うと人間が作った訳ではないとわかるようなものだったんですね。

2018年に人工知能が制作した『エドモン・ド・ベラミ』

でも今はもうだいぶそういう特有の面白さは減り、かなり綺麗な、それっぽいものが出てくるようになりました。人間が書いた文章なのか、描いたイラストなのか、写真なのか、それとも生成したものなのか、かなりの程度わからなくなってしまいました。

ちなみに文章生成については、文章としてはほぼおかしくないものの、内容は結構適当です。つまり嘘はいっぱいつきます。画像生成の方もまだ乗り越えるべき壁はあり日々進歩しています。本当に毎日技術的な進歩があるので驚きます。詳しい人でも全ては追えないほどです。

技術的には、画像生成の方は毎日新しい技術が出てくる、という状態です。文章生成については、画像生成に比べると技術的なスピードは速くない(それでもとても速いですが)印象ですが、話題のChatGPTのように広く皆が触れるようになったことで用途や使い方の実験と実践が爆発している状況だと思います。

簡単に想像できてしまうように、これにはいろいろな悪用の危険があります。それと同時に、多くの人が利用することで、思いもよらなかった利用方法や発見も生まれ、進歩のスピードは速くなっています。技術の発展に法律や制度が後追いになるのはいつものことですが、この生成系AIについてもそれぞれの国や団体がルールを模索しています。

突然ですが、「哲学者サッカー」という作品があります。

これはイギリスのコメディ・グループであるモンティ・パイソンのスケッチ・コメディーです。

この作中では、著名な哲学者がサッカースタジアムに集まりサッカーの試合をしています。ところが試合が開始しても、哲学者たちはボールに触れることはなく、「そもそもサッカーとは?」のような哲学的思考に没頭してしまい全くプレイしません。(*1)

この動画の面白いと感じるところは、試合は既に始まっていて、自分はフィールドにいて、ボールは誰でも蹴れる状態で目の前にあり、つまり誰でもいつでもサッカーをできるにも関わらず、サッカーについて非常に真剣に考えながらも誰一人サッカーをしていないというところかなと思います。

私自身も技術や情報を全て公開したらいくつかのトラブルは起きると思います。どう扱うかの完璧なルールとそれを運用できる完璧な運用者(*2)やシステムを決めることができてから公開、となればそれは安全だったと思いますが、まあ技術は常にルールの先を行くので大体そうはなりませんし、面白くもありません。

とはいえ、私もそうですし、おそらく多くの人が、これらの技術により、意識的にしろ無意識的にしろいろいろな不安を抱いています。安全や生活や仕事が今後どうなるのか。仕事がなくなれば生活もできないですし、どこかに所属することも、食べることも、誰かに認められることもできなくなります。それは「マズローの欲求五段階説」でいう「生理的欲求」「安全欲求」「社会的欲求」「承認欲求」「自己実現欲求」の全てが脅かされているような不安を感じているということです。

マズローの提唱する、欲求の階層をピラミッドで表現し原始的欲求に近づくほど底辺に書いた図。

歴史上、技術革新によって何かの仕事が失われたことは何度もあります。ラッダイト運動なんかもありましたね。しかし今回は困ったことに打ち壊すべき機械は自明なわけではありません。一人一人のPCやスマートフォン、家電、もしくはもっと切り離せないさまざまなものに入り込んでいき、そして皆がそれを享受するはずです。

織機に対する破壊。1812年

「哲学者サッカー」と同じく試合はもう始まってしまっていて、しかも急にボールが蹴られて試合は動き出してしまいました。おまけにその試合はルールもまだ決まっていなくて、審判もいない試合です。これはよっぽど困った試合ですね。そしてもっと困ったことに、「哲学者サッカー」には観客や、映像の視聴者がいますが、実世界にはそれはなくて全員がフィードに立たされています。

そんなことを考えながら、最近は毎日チャットAI(ChatGPT)に触れています。人間なら飽きてしまうような話も飽きずに聞いてくれますし、まず一番の話し相手がAIになる日は近いかもしれません。

私がChatGPTに愚痴ってみたところ。人間はなかなかこんなに優しく聞いてくれません。

*1 哲学者サッカーの試合では、終了1分前にアルキメデスが「ユリイカ!」と叫び初めてボールを蹴り、ソクラテスがゴールを決めます。
*2 私欲を持たないルールの運用者とは、それってAIなのかもしれません。
* カバー画像はStable Diffusionで生成したものです

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