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いつかメタバースをそう呼ばなくなるとき

みなさん。メタバースやってますか?

今回のテーマはメタバース。そう提案された時にこれは難しいテーマだなと感じました。もちろん単語の意味は知っているつもりです。以前のTHE TECHNOLOGY REPORT本誌の方でもメタバースについて書きましたしね。でも自分は正直メタバースそんなにやってないしな、という思いがあるのは事実です。ただこの難しさはそれだけではないように思うんですよね。

考えてみたら、そもそも自分は何を「やってない」と思っているんでしょう?そう言えば「メタバースやってる」と言う人に会ったことは僕はないような気がします。では「メタバースやってる/やってない」とは何なんでしょう。

「メタバース」は元々はニール・スティーヴンスンのSF小説「スノウ・クラッシュ」での、仮想的な3D空間を提供する架空のサービスの名称です。この小説では、ユーザーがアバターを使ってインタラクションする仮想世界が描かれました。

そこから主にネットワーク上の3D空間に入る体験全般を指すように用いられてきました。初めに一般に知名度が広がったサービスとして思いつくのはやっぱり「Second Life」ですね。

しかし今は技術や社会の変化に伴いもっと広い概念になってきています。それ自体が技術的な単語ではなく概念を示すものであるのに加えて様々な領域がそこに取り込まれており、テクノロジートレンドのリストとしてよく参照されるガートナーのハイプサイクルにある単語の中でも「知ってはいるけどすごく抽象的」なもの一つだと思います。

例えば、その目的は何でしょうか?

当初は、Second Lifeのように一つの大きな目的が提示されておらず色々なことができるもの、を主として定義していたように思います。逆にサービスとしての特定の目的を持つものつまりゲームなどはそこには含まれていなかったように思います。とはいえもちろん、もともとこの辺りの境目は非常に曖昧です。

「Second Life」のようにまずは人が集りコミュニュケーションをとることそのものが大きな目的である「ソーシャルVR」と呼ばれる「VRChat」のようなサービス。

ゲームである「Fortnite」。

配信を主体とした「Reality」。

バーチャルライブを中心とした「Vark」というサービスもありますね

では、体験はVRでしょうか、ARでしょうか?

当初は基本的には3D空間に入るものや、VRゴーグルをかぶるようなものがそのイメージで、AR的なものはメタバースの文脈で語られることはなかったと思います。しかし今はARもその語りに含まれていると言っていいでしょう。

Meta社(元Facebook社)はMeta Quest2を発売しているように、VRゴーグルをつけて、仮想世界に自分が没入するメタバースを志向しています。

一方でNiantic社は、ARのメタバースを志向し、現実世界の方に仮想のオブジェクトが出現するイメージです。彼らは「リアルワールド・メタバース」と呼んでいます。つまり3D空間には入りません。

Niantic社はVRではなくARでのメタバース体験に未来があると強く主張しています。この文章もその刺激的なタイトルから話題になりました。

3D空間での空間や自分の姿はどんなものでしょうか?

「デジタルツイン」のように現実の姿を仮想空間に再現しようとする方向。Meta社も比較的こちらの方向だと思います。元々Facebookが実名顔出しのサービスだったことから考えても基本的な思想はそちらでしょう。

「VRChat」や「Zepeto」は逆に、現実とは違う姿を楽しむ傾向が強いです。

当然これらは自ずと、そこにいるユーザーの目的や趣味嗜好、バックグラウンド、欲望のようなものは、それぞれに全く異なってきます。

「ブロックチェーン」「NFT」「Web3」「AI」なんかもありますね。

これらは元々は特に関係はないのですが、同時に語られたりして話をややこしくしています。Amazonで「メタバース」と検索して出てくる方の本を眺めればその辺の単語はよく出てきます。その語り口によって、中にはメタバースを体験するにはNFTが必須だと思ってしまって人もいるように思いますが、別にそんなことはありません。とはいえその辺りに強いモチベーションを持ってメタバースの領域にいる人もいます。

「Decentland」はブロックチェーンをベースにしたメタバース構想のゲームです。NFTで土地などを売買できます。

メタバースは一つだけでしょうか?

セカンドライフくらいの時代からずっとメタバースと聞いてイメージするものが概ね一致していました。真っ先に頭に浮かぶメタバースのイメージは何か圧倒的に大きな一つのサービスに圧倒的に多くの人間が接続しているというイメージでしょう。つまり独占、ないしそれに近い状態ですね。

メタバースを描いてきた映画でも「Ready Player One」の「オアシス」はそうですし、「龍とそばかすの姫」の「U(ユー)」もそうだと言っていいでしょう。

これは言わばインターネットのようなものだと言えるでしょう。インターネットを 私たちは サイバースペースと 例えるように大きな1つの空間のイメージで認識しています。もちろん実際には多数のサーバーがネットワーク上に存在するだけのもので空間ではないのですが不思議と私たちはそれを空間のメタファーで捉えることに違和感はないでしょう。現実が一つであるようにインターネットもまた一つなのです。

メタバースがインターネットのようなもの、またはインターネットの代わりとしての存在になろうとするならばその世界観は大きな一つのメタバースが存在するというものになるでしょう。これは先に述べた映画の世界でもそのようなものですね。

しかし実際には今のところこの「大きな一つのメタバース」の実現は結構難しそうだと考えています。技術的な理由もありますがそれよりもそれぞれに全く異なる世界やコミュニティや欲望がそこにはあるからです。メタバース という言葉にそれぞれみんな違うものを見ていて、そもそも違うメタバースにいるわけです。メタバースがたくさんある、マルチメタバース的状況です。

だから「メタバースをやっている」と口にする人に会うことはなくても、「VRChatにハマってる」「Fortniteが好き」「ARに興味がある」という人は実際に顔が思い浮かびます。そこには 概念としての抽象的なメタバースではなく、各々の行為としてのメタバース、個別の実践としてのメタバースが存在します。そしてそれをする彼らは 必ずしもそれをメタバースをしているとは言いません。多分「メタバースをする」「メタバースに興味がある」という言葉の違和感はそこから来るのだと思います。

これは語の解像度の話でもあるでしょう。インターネットという言葉の辿った経緯も一部似ている部分もあるかもしれません。インターネットが普及し始めた頃、そこでやることは今ほど多くはありませんでした。親から「インターネットしてないで勉強しなさい」と言われた経験がある人もいるでしょう。僕は言われたような気がします。そこには「行為としてのインターネット」がありました。

でも今はどうでしょう。インターネット学習なども増えてきて「インターネットせずに勉強しなさい」と言われる時代ではないかもしれません。むしろ具体的に「YouTube見てないで勉強しなさい」とか「Twitterしてないで勉強しなさい」とか言われるような気がします。インターネットは行為ではなくなったのです。

この「インターネット」という単語の出番の減少。それはインターネットの衰退を示すものでしょうか?もちろん違いますよね。

これはインターネットそのものが私たちの生活を覆い尽くす大きなものとなった結果細部がよく見えるようになって、解像度が上がってインターネットという大きなものではなくより一つ一つの具体的な行為として語ることができるようになったということでもあるでしょう。

メタバースもそのような経緯をたどるのでしょうか。私たちの生活を覆い尽くせるのでしょうか。メタバースは2023年4月現在ネガティブなニュースが多いです。ディズニーがメタバースに関する部門を閉鎖したり、マイクロソフトも関連するプロジェクトを停止したりしています。

先に述べたハイプサイクルで言うとやや幻滅期に入りつつある、つまり一度言葉としてものすごく盛り上がってあちこちで聞くようになるが、しかし実態はそこに必ずしもついてこなかった結果全体として盛り下がっていくという時期と言っていいかもしれません。

なにせ今やメタバースの定義は曖昧でかつ技術的にも複雑なので多くの投資が必要ですし、また一般の多くの方々にとってはわかりづらさやその始める ハードルの高さなどで需要がどのくらいあるかわからない状況です。全体としては最盛期よりは、一時期に比べるとその単語を聞かなくなるでしょう。

しかしそれぞれの実践に目を向けると印象は異なります。VRChatやFortniteは盛り下がっているという印象は受けません。最近のFortniteの世界を自分で作れる「Unreal Editor for Fortnite」のリリースは好意的に受け止められています。

またそのベースとなる開発アプリケーションである統合開発環境「Unreal Engine」も今まさに開発者の間では非常にホットで、新しく学ぼうとする人もたくさんいます。

バーチャルライブ業界もとても盛り上がっています。

僕もこの間バーチャルシンガー「花譜」のライブを観てみました。キャラクターや 世界観の魅力ももちろんありますし、個人的にはTwitter などを見ていると才能ある映像クリエイターたちの集まる表現の場所、そして「あれの映像やりました」と言いたくなるような、「あの仕事やりたいな」と思って頑張るみたいな、憧れのステージとして機能しているように感じて、胸が熱くなりました。

K-POPのバーチャルシンガーである「APOKI」もルックが好きなのでInstagramをフォローしてよく観ていますね。彼女は宇宙の住人で人間にうさぎの耳がついたような姿をしています。日本では2Dから3Dに出てきたようなルックのバーチャルシンガーが多い印象ですが、APOKIはピクサー感のある方向のルックをしてます。YouTube や Instagram なともよく更新していて、技術的にはプリレンダリングの映像とゲーム エンジンを使ったリアルタイムレンダリングによる映像をメディアによって使い分けている良い事例です。APOKI可愛いよAPOKI。

ソーシャル系だと、「Bondee」はちょっとやってみてたりします。興味深いと思ってる ポイントはいくつかあって、これは弱点でもあるんですがあまり 積極的に交流をさせようさせようとしない押し付けがましさがないところとか、Zepetoとかと違ってアバターが可愛くなりすぎないというか、(このちょっと可愛くなさが可愛いと僕は思っているので表現が難しいんですが)そのあたりの抜け感のようなもの、それらの要素からくるTwitter よりも Facebook よりも Instagram よりも個人的な気持ちを投稿しやすい状態ではあります。まあこれはやってみたものの周りの人が継続して使っていないので自分もあまり使わなくなってしまっているタイミングではありますが。

冒頭の問いに戻りましょう。

みなさん、メタバースやってますか?

僕はメタバースをあまりやってないように思う、それゆえに語ることは難しいと感じていると書きました。でもどうでしょう、こうして考えてみると違う一面が見えてきます。やってることとか好きなもの、ありますね。メタバース、結構やってるかもしれません。

ここまで書いてやっぱり思うんですがこのテーマは誰にも突っ込まれないのがすごく難しいんですね。僕があげた事例に対して個別に「こんなものはメタバースではない」と思う方もおられるでしょうし、逆に「これが含まれてない」というものもあるでしょう。

今やメタバースという概念が、ジャンル という方向でも大きく広がっていて、また解像度のレイヤーにおいても概念から技術まで含んでいて、そこにはとても多くのものが含まれています。それゆえにその全ての領域において活動してる人間はいません。「全てのメタバースをしている」人はいません。各々に個別のメタバースの実践があり、僕もまた自分なりの メタバースの実践を行っていたんですね。

もしハイプな失速によってメタバースという単語をしばらくの間あまり聞かなくなったとしても、それは必ずしもメタバースが内包する全てのものの失速を示すものではなく、メタバースと呼ばれないかもしれない、実践としてのアクチュアルなメタバース(に含まれていた/いるもの)の営みは行われていくものと考えます。

むしろ、皆の「インターネット」という語の解像度が上がって個別の行為の名前で語られるようになったことはインターネットの失速ではなく浸透を示すように、「メタバース」が個別の行為で語られるようになった結果としてその単語の使用頻度が下がることは、その浸透の予兆と言えるのかもしれません。

まあでも、ハイプな単語の定着の仕方というものは様々です。もしかしたら、どこかの子が「メタバースばっかりせずに勉強しなさい!」と親に怒られる日も来るかもしれませんね。

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