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【短編小説】夜に手を伸ばす

 夜は暗い。いつも真っ暗だ。

 私はいつだって夜が来るのが怖くて、だけど簡単に負けてやるもんかって意地を張って強がって、ずっとあの暗闇のことを正体不明の敵みたいに思ってた。

 しゃがみ込んで、目をつぶって耳をふさいで、真っ暗な世界でひたすら時間が過ぎるのを待っていた。

***

「ほら、ぼーっとしてないで、これ運んで!」

 星とか月とか宇宙とか、普段の私には縁のない天文関係の本ばかりが並ぶ本棚を眺めていたら、ユキが私を呼んだ。

「このへんのビニールシートでしょ、あとクッションも。こっちの紙袋もだわ。お酒とか機材とか重いのは男子にやらせるから」

 知らない大学の、もわっと空気のこもった部室棟の一室。どうしたって居心地が悪くてそわそわする。さっきからいろんな人が出たり入ったりして慌ただしい。OBなのか院生なのか、明らかに20代じゃない年齢の人も混じってる。


 大学一年の夏、上京して初めての長い休みを目の前にして途方に暮れていたら、高校の友人であるユキから電話がかかってきた。人手が必要なのだという。

 いくつもかけ持ちしてるサークルの一つ、天文部では定期的に校舎の屋上で星空観測会を開催してるらしい。

 いつもは部員だけでやってるのに、今回はユキの提案で一般開放するらしく、「どうせ暇してるでしょ」って、別の大学に通う私にも声がかかったのだった。

 一人でも多く参加者を集めて実績にするらしい。就活のためのネタ作りを今から始めるとは、さすが我が校初の女子生徒会長サマ。高校時代から変わらず、というか、むしろこの3ヶ月でさらにパワフルになったように見える。


「それで、そっちの大学ではどうしてんの? 元気してる?」

 山積みにしたクッションを両手で抱えながら二人で階段を上っていると、ユキが振り返って聞いてきた。

「まあ、ぼちぼち・・・・・・?」

 積み重ねたクッションに視界を遮られてたから、体をひねりながら彼女を見上げたら、今度はため息が降りてきた。

「ぼちぼちね。美咲のスピードで行けばいいけど。貴重な地方出身仲間なんだから、何かあったら言いなね? うちの大学でよかったら友達も紹介するし」

「・・・・・・いちおう、授業で話したりする友達はいるから」

 この三ヶ月のユキとの圧倒的な差を感じる。

 思わず弁明するみたく言ってみたものの、きっと全部お見通しなんだろうな。この人の面倒見の良さも高1のときから変わらない。

「そう? ならよかった。帰省はする?」

「しない。どうせ帰ってもすることないし」

 だよねー私もーと笑ってユキが屋上へのドアを開けると、もう日が沈んであたりは暗くなりかけていた。

 山手線の駅から徒歩10分、6階建ての校舎の屋上。近くの繁華街のネオンが光って見えて、星空というより夜景を楽しむための環境に思える。

「こんなところで星なんて見えるの?」

 思わず私が口に出したら、

「それが、見えるんだなー」

と、私たちの後ろから来てた男の人がひょいっと私の顔をのぞき込んできた。

 目が合って、突然のことにびっくりして心臓が跳ねる。

 やばい。この人、目がキラキラの人種だ。

 てらいがない。初対面の人の顔、なんでそんなにまっすぐ見れるんだろう。

「はじめての子かな?」

「あ、森川さん。この子、私の高校時代の友達の美咲です。星とか全然詳しくないんで、よろしくお願いします」

 ほら!ってユキに促されて、あわててお辞儀をした。クッションが落ちないようにバランスを取る。

 そしたら、

「森川です。3回目の2年生だからいろいろ詳しいよ」

って言ってその人は笑った。

 3回目の2年生・・・・・・? 大学4年目ってこと? 訳ありすぎて何も聞けなくて、「どうも」ってもう一回小さくお辞儀する。

「星空見るの、ハマると楽しいよ」

 ニコニコしたまま「じゃあよろしく」ってテキパキ私たちに指示をして、森川さんは他の人たちのところに走って行った。


 指示されたところにユキと二人でビニールシートを広げていく。風で飛んでいかないように四隅をレンガで押さえて、運んできたクッションも適当に配置した。

「シートだけじゃなくクッションまであるんだね。しかもこんなにたくさん」

「ほら、星見るのってどうしても長時間になるじゃない? 何時間も寝転んで見上げたりとかさ。OBOGもよくイベントに参加するし、首とか腰とかどうしても体にくるからって、投資してくうちにグッズが増えてくらしいのよね」

 へえーって言いながら、そばにあった抱き枕みたいな大きなクマ型クッションを触ってみる。

 ときどき干してあるのかな。あの部室の中で置いてあった割には嫌なにおいがないし、ふかふかしてる。

 座布団みたいな四角いものから、星型、ドーナツ型、色もさまざまあって、ビニールシートの上がカラフルに彩られている。もし雲の上に乗ることができたなら、こんな感じなのかもしれない。


 他の部員に呼ばれてユキがどこかに行ってしまったので、適当にぐるっと歩いてみた。

 屋上の真ん中にはすでに望遠鏡が設置されている。その周りには組み立て式のテーブルやパイプイスが並べられて、お祭りのように飲み物や食べ物が用意されていた。

 集まってきた人たちの中にはすでに缶ビールを手にしてる人もいて、星空なんてそっちのけでガヤガヤと盛り上がり始めてるのが大学サークルっぽい。

 とはいえ望遠鏡の周りでも賑わってるし、ちゃんと星を見るために参加してる人もいるんだろう。雑誌や図鑑をテーブルに広げてる人もいる。

「あれ、疲れちゃった?」

 そんな様子をぼーっと眺めていたら、さっきの森川さんが声をかけてくれた。

「あ、大丈夫です。なんか、居心地のいい空間だなって思って」

 私がそう言うと、森川さんが嬉しそうにうなずいた。

「そうなんだよ。星見てもいいし、お酒飲んでもいいし。楽しければオッケー」

「楽しければオッケー。そっかあ・・・・・・」

 あらためて屋上を見渡してみる。たしかに、みんな楽しそうにしてる。

 その中にユキの姿を見つけた。年上の人たちの中でも萎縮しないで楽しそうに話してる。少し離れたところから見ている自分の姿が、高校のクラスでもうまくなじめなかった過去の自分と重なった。

「美咲ちゃんは? 楽しんでる? ・・・・・・って、はじめての場所でいきなり楽しむのは無理かー」

 森川さんがからかうみたいにしてニカッと笑う。

 この人、こわい。頭の中を見透かされているのかと思った。

「あ!」

 森川さんが今度は急に大きな声を出した。

「なんですか?」

「美咲ちゃん、もしかして星まだちゃんと見てないでしょ?」

 私が返事をする前に、こっちこっち!って言いながら、森川さんが私の腕をつかんで屋上の端のほうに連れて行く。

「あの、私、ほんとに星とかそんなに興味ないんで」

 お気遣いなくって、慌てて森川さんに言おうとしてたら、あっというまに小さいビニールシートを持ってきて、その上にクッションを重ねて、「はい、どうぞ」って特等席を作ってくれてた。

 卓上ライトで照らされたテーブルからできるだけ離れたところ、みんながわいわい話す声も遠くに聞こえて、さっきとは別の場所にいるみたい。

 うながされるがままに仕方なくそこに座る。

「望遠鏡で見るのもいいけどさ、ただひたすらぼーっと空全体を見上げるっていうのもいいんだよね」

 森川さんはそう言って、私の隣で自分もクッションの上に体育座りをした。膝の上に、クマ型クッションも持ってきてる。

「オレもこの部活入ってびっくりしたんだけどさ、東京でも見ようと思えば星ってけっこう見れるんだよね」

 言われてそっと空を見上げてみるけれど、コンタクトを外してるみたいに、ぼんやりとぱらついた白い点々が見えるだけだ。少し離れたところにまぶしい街のネオン。これじゃ星空のイメージのかけらもない。

「・・・・・・こんな都会で星なんか」

「わかってないなー。そんなすぐには見えないって。ずーっと目をこらし続けるんだよ。だんだん目が慣れてくるからさ」

 うれしそうに言って、森川さんは空に視線を向ける。

 私には見えないものを見続ける人。

 そうやってまっすぐ夜空を見つめてる横顔を見ていたら、私はなんでかイライラしてきた。


 なんで私、こんなところで星なんか見てるんだろ。

 別に星なんて見たかった訳じゃない。

 星が見えたからってなんだっていうの。

 なんでユキは私を誘ったんだろう。誘われたからって私もなんでノコノコついて来ちゃったんだろう。


 体育座りしてる膝に顔を押しつける。頭の中で嫌な気持ちがぐるぐる回転し始めて、自分でもどうしようもなくなったとき、森川さんがまじめな声で言った。

「美咲ちゃんはさ、どうしてそんなに諦めてるの?」

 はっとして顔を上げた。

 諦める・・・・・・? 

「困ってることがあれば、おにーさんが話を聞いてあげよう」

 さっきのまじめな声が嘘みたいに、森川さんがニカッと笑う。

「いやいや、いいですって」

「話したらすっきりするかもよ?」

 ほらほらーってぐりぐり肘でつつかれて、脇をくすぐられる。

「ちょっと! やめてくださいよ!」

 この人は私より3つも年上だっていうのに、子どもみたい。

 私の抵抗むなしく、ニヤニヤしながらの攻撃は弱まる気配を見せなくて、意地を張ってるのもだんだんバカらしくなってきたから「まいっか」って観念した。

 別に今さら誰かに話すようなことじゃない。だけど、もしすると誰かに聞いてもらいたかったこと。

「・・・・・・なんか、母親が」

 近くにあったクッションを膝に抱えて、言えそうな言葉をひとつずつ口に出す。

「どうやら兄のことばっかり可愛いらしくて。小学生の頃からずっと兄に夢中で」

 クッションのはしっこを両手で握りしめる。

「兄は2つ上なんですけど。いつ頃からかお互いに変な感じになっちゃって、話さなくなって。家族の中もギクシャクしてて」

「・・・・・・うん」

「母もいつか変わってくれるかなって思ってたけど、むしろ逆で。大きくなるにつれて、私のことはどんどん視界に入らなくなったみたいで」

「・・・・・・それで?」

「父親も私が中学校に上がった頃からあんまり家に帰ってこなくなるし」

 実家にいた頃のことを思い出そうとしても、モノクロ写真みたいにあせた色の記憶しか出てこない。つい数ヶ月前までの生活なのに、どうやって暮らしていたのかはっきり覚えていない。

「私って目の前にいる人に見えてるのかなって、だんだん外でも人と話すのが怖くなってきて。高校に上がる頃には完全にコミュ障人間になってた。別に友達もいないし、せっかく大学に入っても楽しくないし、どうせこのまま生きてたって代わり映えのしない毎日が続くんだろうなって思って」

 言い始めたら止まらなくなった。

 言葉を重ねるたびにどんどん悲しくなる。せき止められないこの気持ちはどうしたらいいの。

 怖い。見えない何かに自分を乗っ取られそうになる。

 一気に吐き出した分の反動で苦しくなって、思いきり息を吸いながら横目で見たら、先輩は何も言わずに空を見上げてる。

 それで少しだけ冷静になって、吸った息をそのまま吐き出した。

 つまんない話、聞かせちゃったな。キラキラの人にふさわしい、もっと楽しい話を聞いてもらいたかったな。

「もう、このまま消えちゃいたいなー・・・・・・」

 なんとなく口に出してみたらちょっとすっきりして、ごろんって寝転がってそのままクッションで顔を隠した。

 視界の奥が暗くなる。どこまでも広がる深い闇。このまま真っ暗な夜に溶けてしまえればいいのに。


 バサッ。


 次の瞬間、視界が開(ひら)けて、気づいたら目の前に森川さんの顔があった。

 私の顔からもぎ取ったクッションを自分の隣に乱暴に置いて、寝転んだままの私の顔をのぞき込んでいる。

「それってさ、死にたいってこと?」

 あのキラキラの目がじっと私の目を見つめてくる。

「別に、そういうんじゃないですけど・・・・・・」

 恥ずかしいなんて思う余裕がないくらいその目は正直で、私はどうすればいいかわからなくなってしまう。まっすぐで、直線で、ごまかすことを許してくれない目。

 どうしてこの人の目がキラキラしてるのか、理由がわかった。


 死にたいなんて思ったことない。

 だけど、ほんとは。

 たぶん、ずっと誰かに助けてほしかった。

 この酸素の薄い暗闇の中から、どこか明るい場所へ連れ出してほしかった。

 だけど、待っていても助けがこないなんて、私はじゅうぶん知っているから。

 自分のことを救えるのは、自分しかいないから。

 そう言い聞かせて、わからないふりをした。

 みんなこうやってやり過ごすんでしょって、見ないふりをした。

 優しく手を差し伸べてくれる人のことも、私のことを見ててくれる人のことも。全部両手で押しのけて、私は一人で戦ってるんだって。そうしないと崩れ落ちてしまうからって。


 気づいたらぼろぼろと涙があふれ出していた。どうしよう、全然とまらない。こんなの困る。ものすごく困る。

「がんばってるじゃん」

 森川さんの大きな手がぽんぽんって私の頭をなでた。にじんだ視界の向こうで、さっきまで真剣な顔で私を見ていた森川さんが、いつのまにか優しいまなざしで笑っている。

 そんなことされたら余計に泣く。喉の奥がきゅうってなって、大声で泣きそうになるのを必死で押さえた。

 何回もゆっくり息を吸って吐いて、時間をかけて呼吸を整える。

「・・・・・・オレはさ、一回あるよ。病院の屋上から、もういっかなーって地面を見たこと」

 森川さんが穏やかな声で話し始めた。

「生まれたときから体がポンコツでさ。言うこと聞いてくんなくて、たまに無理するとすぐ使えなくなる。大学も2年休学してる」

 涙を押さえるために覆っていた手を、私は顔から外せなくなってしまった。

「手術して、もっと普通の生活できるようになるはずだったんだけど、結局うまくいかなかった。このままポンコツの体とうまくやってくしかないんだって。だけど、そんなふうにして生き延びることに意味あるのかなって思ったんだよね。だから、もういいかなって」

 思いきって森川さんを見たら、さっきと同じ体育座りをして、夜空を見上げてた。その背景に星空が広がってる。

「・・・・・・それで、どうしたんですか?」

 聞かずにはいられなかった。どうやって、その暗闇から帰ってきたんですか。私はどうしたらもっと強くなれますか。

 へへって笑って森川さんが私を見返した。

「どうもしないよ。夜だったんだけど、その日も星がきれいに見えてさ。ただ、そういう人生なんだなーって思ったんだよね。まだ今じゃない。今日じゃなくてもいい。そう思って、今も星空を見るたびに、毎回少しだけ自分で寿命を延ばしてる」

 私が黙ったまま何も言えないでいると、森川さんが「ほら」って言って手を差し出してくれた。

 手を引っぱってもらってゆっくり起き上がって、もう一度クッションを敷き直して、森川さんの隣で私も同じように体育座りをする。

 ふと思い立って空に向かって両手を伸ばしてみた。

「・・・・・・今日、少しだけ夜に近づいたかもしれないです」

「うん?」

 森川さんが聞いた。

「いつも夜になるのが怖かったんです。ずっと怖くて見ないようにしてたけど、見ようとしないから、余計に怖かったのかもしれない」

「うん」

「手を伸ばした分、距離は近づく。ほんの少しだけど。これからもきっと暗闇は怖いけど、それでも近づいた分だけ、少しずつその正体をつかめるかもしれない」

 伸ばした両手の先の空を見上げる。暗闇だと思っている先に、私もいつか小さな光を見つけられるだろうか。

「え!」

「あ!」

 同じタイミングで森川さんと顔を見合わせた。

「見た!?」

「見ました! アレ、目の錯覚とかじゃないですよね?」

「本物本物。あちゃー、願い事しそこねたなー。美咲ちゃん、初めての観測会でいいもん見たね」

 そんなこと言いながら、森川さんはみんなにさっそく自慢しに行ってる。この人はほんとに子どもみたいだ。

 そんな私も嬉しくなってユキに報告しに行ったら、ニヤニヤ笑われてしまった。

「いつの間に二人で流れ星なんて見てるのよ」

「それはっ! ほんとに偶然で!」

 そう言って、ちょっと冷静になって自分のしたことを思い出したら、顔がほてってきた。私なんで初対面の人の前で自分のこと話して、あげくの果てに大泣きしてるんだ!

「ちょっと心配してたけど、今日誘ってよかったなー。ほーんと優しい友達に感謝しなさいよ?」

 言葉とは裏腹な優しい表情に、「ありがと」って小さく返した。


「ねーねー! あのさ、美咲ちゃん。これ貸してあげるよ」

「え?」

 帰り際、私のところに走ってきた森川さんに手渡されたのは、さっきのクマ型クッションだった。

「夜さ、眠れないときはこれ見てさっきの流れ星を思い出してよ。そんで、もう大丈夫かなって思ったら、いつか返しに来てくれたらいいから。オレ、少なくともここにあと3年はいるし」

 私が返事できないでいたら、横にいたユキが私の手元をのぞき込んできた。

「これ森川さんが一番お気に入りのヤツじゃないですか。いつも屋上で干してお手入れして。いいんですか?」

 驚いて森川さんの顔を見上げたら「バラされちゃった」って照れ笑いしてる。ついでに、

「そういうわけだから、早めに返してもらう分には大歓迎。でも、本当にいつでも大丈夫。どうせ卒業してもここに集まってるだろうし」

 そう言って、あのキラキラ笑顔でまっすぐ私の顔を見てくるから、いても立ってもいられなくなる。

 悔しくなって、今度は私も森川さんの顔をまっすぐ見返した。

「いつ返せるかわかんないけど、お借りします。・・・・・・それから、次の観測会に来たら、また一緒に流れ星探してくれますか?」

 これが今の私の精一杯。だけど、手を伸ばさなきゃ距離は縮まらない。

「もちろん」

 今までで一番まぶしい笑顔で、森川さんがぽんって頭をなでてくれた。

 あれ。手を伸ばせる分の距離って、実はすごいのかもしれない。少しずつ近づいて時間を重ねていくうちに、いつかあの暗闇のことも怖くなくなる日が来るかもしれない。

 さっき願い損ねた分の願い事をしたくなって、私はもう一度だけ、夜空に向かって手を伸ばした。


(2021/08、7,400字)

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