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広告クリエィティブ職は聖書もわかりやすく語れるのか?その75

普段広告のクリエィティブ業をしつつ、プロテスタントの教会でお子様にお話をさせていただいています。その原稿を公開するシリーズ。今日はペトロさんが奇跡をおこなった場面。イエス様がいなくても奇跡ができる。そのわけは「名前」。その力の源はイエス様のブランド力、そしてイエス様のブランドロゴは?というお話です。

使徒言行録3章1節から10節(新217ページ)
1:ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。 2:すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。 3:彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しをこうた。 4:ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。 5:その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、 6:ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」 7:そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、 8:躍り上がって立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。 9:民衆は皆、彼が歩き回り、神を賛美しているのを見た。 10:彼らは、それが神殿の「美しい門」のそばに座って施しをこうていた者だと気づき、その身に起こったことに我を忘れるほど驚いた。

Copyright: 日本聖書協会

<名前のチカラ>
みなさん、自分の名前は好きですか?わたしの名前は鈴木契、契約の契と説明します。わたくしの父が神様との契約という意味でつけてくれました。仕事をしているといろんな人と名刺交換をします。するとケイという音の名前の人にも出逢います。多いのは土ふたつの圭、などがあります。最近会ったケイの中で一番かっこいいなあと思ったのはカメラマンの方のケイ、景色の景、いいですよね。名前と仕事が一致しているとかっこいいなあと思いました。

名前には意味がある、さらにその名前がちからを持つということがあります。人の気持ち、行動を変えることがあります。それがブランドと呼ばれるものです。みなさんが何かを買う時に有名な名前がついているもののほうが選びやすいということがあると思います。スマホだったらアップルのアイフォンがいいかなあとか靴だったらナイキがいいかなあだったりとかありますよね。それはそのブランドに力があるから、と言われています。ネームバリューといったりブランドバリューといったりもするんですね。ブランドというのはその名前を聞いた時に思い浮かぶイメージともいわれてて、ああ、いいな、その商品が欲しいなあとおもうってことにつながるんですね。それだけ名前というのは何か不思議なチカラがあります。
 
<神殿の門の前にいた男の人>
きょうの箇所はその名前がもつ不思議なチカラについてです。
先週はペンテコステといわれる聖霊とよばれる神様がこの地上にやってきて、この世界が満たされましたというお話をききましたね。その聖霊がみたされて、お弟子さんたちがめっちゃ元気になって神様、イエス様のことを伝えるぞ!となりました。そんなある日、お弟子さんのペトロさんとヨハネさんがお祈りをしに神殿にやってきたんですね。そうすると神殿の入り口に歩けない男の人が運ばれてきたそうです。なんのためかというとお金をもらうため。神殿の入り口で歩けないんで仕事できないんです、なのでお金くださいと言うために運ばれてきたんです。なんで神殿の前かと言うとまず人が多く集まるから、そして神殿にはみんな神様のためにいいことしたいと思いながらくるわけで、じゃあ、歩けない人にお金をあげようとなりやすいからなんですね。この男の人はある意味でこの場所の名物になっていて
あああの人ねとなっていたそうです。その横をペテロさんとヨハネさんがとおりかかりました。

<金や銀はないが>
するとその男の人はいつもどおり、「すいません!おかねください!」ってつたえたんですね。そこでペトロさんとヨハネさんができることといえば、普通は、はい、お金あげますよ、とあーまた今度にしますーの2つですよね。ふつうは。でもそうじゃなかったんですね。ペトロさんは言いました「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエスキリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」と。そしてなんとその人の手をとって立ち上がらせて歩けるようになったんです。ペトロさんが奇跡をおこしたんですね。男の人はめちゃくちゃ喜んで躍り上がって、ペトロさんと一緒に神殿に入っていきました。そしてその男の人は神様ありがとう!神様すばらしい!と神様を賛美していたそうです。

<名によって>
まわりの人も驚きました。だってあのいつも神殿の前に動かないで座っている男の人が立ち上がって喜んでいるんです。ええ、あのいつものひと、立ち上がってるやん!となったんですね。
ペトロさんの言葉で面白いのはイエスキリストの名によって立ち上がり、歩きなさいという言葉。ただ立ち上がりなさいって言う言葉じゃなくてイエスキリストの名によってという言葉をつかったということです。この名によって、とはどういう意味なんでしょうか?
これは先週のペンテコステで聖霊がお弟子さんたちに注がれた、入っていったということと関係があります。ここでイエス様の名前をつかってみんなでイエス様のことを伝えていってね、となったんです。名前をつかって、とはどういうことかというとイエスさまのワザをつかっていいよ、とも言えるかもしれません。

<イエス様を身に纏(まとっ)て>
使徒言行録の中でパウロさんというとても有名な伝道する人がいます。彼がいっていたのは「イエスキリストを身にまとって」と。イエスキリストの名によってと言う状態はイエス様をみにまとっている状態、だからイエス様のチカラが使える状態ともいえるということです。
なのでパウロさんはここで、歩きなさいと言って、そしてその男の人は歩けるようになったということなんですね。
そして何のためにこの奇跡が行われたかもとっても大切です。この歩けるようになった男の人はそのあと何をしたかというと神様を賛美したと書いてありました。これはペトロさんが行ったことが、ひとりの男の人が神様を賛美するようになった、その神様を賛美する人がひとりでも増えるために、イエス様をみにまとって、ああいう奇跡をした、ということです。イエス様の名前をつかって、イエスさまのチカラをなんのためにつかうか、自分のためにつかうのではなく、かならず神様が賛美される世界をつくるために使うんですよーということもこの聖書の箇所は伝えてくれています。

<イエスキリストブランドのマークは?>
最初にお話したブランドのお話、アップルのブランドはりんごのマークがありますね。ナイキはあのマークありますよね、ブランドにはマークがあります。さて、イエス様の名前というのはとても力があるというお話をしました、そうするとイエス様もブランドと言えるのかもしれません。じゃあイエス様のブランドがあるとしたらどんなマークでしょうか?ちょっと考えてみてください。
イエス様というブランドがあればそれは十字架のマークでしょうね。教会にも十字架ってありますもんね。イエス様がお亡くなりになることで私たちが心のなかにもつ、神様からつくられたものなのに、こんなに愛されているのに神様にたいしていつも持ってしまう「ほっといてー」という気持ちそういう態度を許してくださるために、イエス様はお亡くなりになった、それほどわたしたちを愛してくださってるんだーということを表す、それが十字架なんですね。

<イエス様ブランドを身に纏って生きる>
教会にくるということ、イエス様を信じて生きるということは、いつもイエス様とブランドを着て生きていくということ、イエス様の名前、イエス様の十字架と一緒に生きていくということ。そうすることでわたしたちは、イエス様に守ってもらって、そして、イエス様って本当にいるんだなあと周りの人におもってもらえるような生き方ができるようになるんです。ペトロさんみたいに誰かが歩けるようにすることはできないけれども、でも、ペトロさんに足を治してもらった人が、神様を信じるようなったように私たちがイエス様ブランドを着ていきていくことで、それがまわりに伝わっていく、地の塩のように、じわーっと伝わっていく、そのために私たちは生きているんです。今日は「イエス様の名によって」という言葉の意味についてお話をしました。みなさんもイエス様ブランドを着て生きていけるといいなあと日曜学校の先生全員でお祈りをしています。おしまい。

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