演奏スタイルの歴史② 教則本
演奏法の歴史を考察していますが、絵画に続いては教則本を見てみたいと思います。
バロック時代の終わりには教則本を出した2人のバイオリニストがいます。
The Art of Playing on the Violin
まずはイタリア人で、イギリスのロンドンやダブリンで活躍したジェミニアーニ(Francesco Xaverio Geminiani 1687 – 1762)です。
Andrea Soldi "Francesco Xaverio Geminiani" circa 1735
彼は1751年に「The Art of Playing on the Violin」という教則本を出版しています。
彼はイタリア人でしたが、上述のようにロンドンやダブリンで活躍しており、この教則本も英語で書かれています。
この教則本の Example I(楽譜上はEsempio I)で、彼は「ヴァイオリンは鎖骨の真下に置き、ヴァイオリンの右側を少し下に向ける必要があります。」と構え方の指導をしています。
バイオリニストのSimone Trollmoさんがこの構え方について動画をアップしています。
鎖骨の上ではなく「鎖骨の真下( just below the Collar-bone)」と言っていますから、この動画のようにほぼ胸で楽器を構えるように言っていることになります。その上でジェミニアーニは Example I-C (Esempio I-C)で7番目のポジションまで練習を指示していますから、当然この構え方はポジション移動が出来る構え方のはずです。
(彼は「order」と呼んでいましたが、わかりやすくするためにここでは「ポジション」と呼ぶことにします)
Esempio I-A,B,C 括弧上の数字が弦を示し、括弧下の数字が指番号
実際に「バイオリンのスクロールは胸板とほぼ水平でなければならず、そうすることで手は楽器を落とす危険もなく移動できるようになるでしょう。」とも言っています。
ポジション移動についての指導は Example I-C (Esempio I-C) で「最初のポジションで練習した後、あなたは2番目に移動し、次に3番目に移動しなければなりません。この場合、親指は常に人差し指よりも奥に留まるように注意してください。そして、あなたが他のポジションに進むほど、親指はバイオリンのネックの下にほとんど隠れるまで、より大きな距離でなければなりません。」と説明しています。
これはあまり親指を動かさず、ハイポジションになるにつれて親指を伸ばしてポジション移動をするよう指示をしているのだと思います。
しかも「実際、運指には本格的な応用が必要であるため、弓を使用せずに実施するのが最も賢明です。7番目のポジションに到達するまで弓を使用しないでいれば、必要かつ適切な方法が見つかります。」とポジション移動の練習に弓を使用しないように言っています。
弓を使用しないと音程が正しいかどうか把握するのは難しいと思うのですが(事実、「弓を使わないこの訓練は不愉快だろう」とも言っています)、もしかしたらそれよりもポジション移動のときの左手の動きが難しいので、まずは弓を使用せずに練習しろと言っているのかもしれません。
続く Example I-D (Esempio I-D) では、ポジション移動用の訓練として同じ音を各指で連続して押さえる訓練を指示しています。
楽譜には上昇しか載っていませんが、下降の訓練も行うように推奨しています。
ここに関しては、バロックバイオリニストの赤津眞言先生がオンラインでレクチャーを行っており、まさにここの部分を実践されていらっしゃいますので、これを見ていただくのが一番わかりやすいでしょう。
この様に、ジェミニアーニは胸で構えてポジション移動を行うことを教えています。しかし、この教則本では左手の移動について、これ以上の具体的な方法論は示されていません。
当時は音楽教師からより具体的な方法を教わることも出来たのでこれで十分だったのかもしれませんが、ポジション移動の方法論が失われてしまった現代ではこの教則本だけでは理解・実践が難しい部分もあるのではないでしょうか。
ただ、ジェミニアーニの流派では、この時にはまだバイオリンは胸の前で演奏する方法を採用していたようです。
Versuch einer gründlichen Violinschule
続いてはあの大作曲家であるモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)の父親であるレオポルト・モーツァルト(Johann Georg Leopold Mozart 1719 – 1787)の出版した教則本です。
Pietro Antonio Lorenzoni (1721-1782) "Leopold Mozart"
彼は1756年に「Versuch einer gründlichen Violinschule」という教則本を自費で発行し、その後多くの言語に翻訳して出版されるほど人気の教則本となりました。
Versuch einer gründlichen Violinschule 表紙 1787年版
彼はこの教則本で図を使って2種類の構え方を教えています。
1つ目は「バイオリンはさりげなく胸の高さで横向きに構え、このように弓のストロークは横向きよりも縦向きになります。」と言っています。
この図はLeopord Mozartの肖像でもあり、構え方の例を示した図でもあります。
この構え方は「観客からは見栄えが良いが、演奏者自身にとってはやや難しく不便である」とも言っています。
さらに、楽器は鎖骨の上にあり、顎で挟んではいませんので、
「手が上に行く(ハイポジションからファーストポジションへ移動する)と楽器は保持されていないため落ちてしまうので、そうならないために親指と人差し指の間で楽器を保持するよう、長い練習を通して克服しなければなりません。」
と、ポジション移動が容易ではないことも言っています。
もう一方の構え方は、「バイオリンは、肩の前の部分に少し重なるように首に当て、E線側、またはその横側に顎を置くようにします。」と、顎と肩で挟む方法を指導しています。このおかげで「たとえ強い動きで手を上下に動かしても、バイオリンは常にその場所に不動のままになる」とポジション移動が容易になることを言っています。
ということは、バロック後期・または古典派初期であるレオポルト・モーツァルトの流派はバイオリンは顎で挟む方法を取り入れていたことになります。
ただし、ここでの顎を乗せる場所はE線側、つまり現代の顎当てがついている位置とは反対の右側です。
確かに、ストラディバリウスでもE線側(向かって右側)のニスが剥げている楽器が多く見受けられますので、実際に当時はここに顎を乗せて演奏されていたのでしょう。
Antonio Stradivari 1721 "Lady Blunt"
このことについては以前の投稿「フィッテイングパーツ③ 顎当て」でもお話しました。
なお、この教則本では間違った構え方の図も載せています。
何が違うんだと思うかもしれませんが、視線の方向や弓を持つ手の肘が上がりすぎていること、スクロールが下がりすぎていることなどを示していて、顎を置く場所とかの指摘ではありません。
この教則本では顎で挟まない方法と挟む方法の両方が載っていますから、このあたりからバイオリンを顎で挟むのが一般化していったのではないかと考えられます。
ただし、顎を乗せる所がG線側(楽器の左側)になるのはもう少し後の事になるようです。
出典・参考文献
Wikipedia
Versuch einer gründlichen Violinschule
Francesco Geminiani著 「The Art of Playing on the Violin」
Leopold Mozart著 「Versuch einer gründlichen Violinschule」
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