振動する紐
楽器は様々なものを振動させて音に変えています。
まあ、もともと音そのものが空気の振動ですから、何かを振動させて空気を震わせることが出来れば楽器が出来ます。
太鼓は膜を叩いて(振動させて)音を出し、
サックスはリードを震わせて音を出し、
トランペットは唇を震わせて音を出しています。
その振動するものを紐(弦)にすると、弦楽器になります。
今回はその弦についてお話していきます。
みんなが使っている弦
バイオリン属の弦には大きく分けて3種類あります。
ガット弦
スチール弦
ナイロン弦
その中で、現在の一般的なバイオリンである「モダンバイオリン」を演奏する方たちは、殆どの方がスチール弦を使用していらっしゃいます。
そんなこたぁない!
という声が聞こえてきそうですが、真実です。
まあまあまあ、落ち着いて聞いてください。
まず定義として
ガット弦とは 芯材が羊かそれに準ずる動物の腸を原料としているもの
スチール弦とは 芯材がスチールかそれに準ずる金属を原料としているもの
ナイロン弦とは 芯材がナイロンかそれに準ずる合成繊維を原料にしているもの
のことです。
芯材とは、弦の中心、芯に使われている材料のことです。
バイオリンの弦はその多くが巻線と呼ばれる金属線を巻きつけているので、見た目には金属のように見えますが、中心の芯材は金属以外にも様々な材料が使用されています。
なので、決して金属が巻いてあるから金属弦だと言っているわけではありません。
そして一般的なバイオリンには弦が4本使用されています。
察しが良い方はおわかりかもしれませんね。
その中の最も細い、高音を出す弦(一番線・E線)には、ほぼ間違いなくアマチュアを含む殆どのモダンバイオリン演奏家がスチール弦を使用している(全部の弦とは言っていない)ということなのです。
まあまあまあ、怒らないで。
バイオリン用の弦は各メーカーが様々なブランドのものを製造していますが、私が知っている範囲でE線にスチールとガット以外の素材を使用している大手メーカーはありません。
そう、実はガット弦のE線は結構普通に売っているのです。
でも、モダンバイオリンを演奏している方は一般的にガットのE線を使用しません。
じゃあ、なんでE線はスチール一択になったのでしょうか。
様々な音程を出すために
それを知るためには、まずは弦が様々な高さの音を出す仕組みから考えます。
弦で音を出すためには、弦を振動させないといけません。
高い音を出すためには、その振動を早くしないといけません。
早く振動させるには、弦を強く張るか、短くするか、軽くする必要があります。
演奏する前に行う調弦で、弦をより引っ張るようにペグを回すと弦が出す音は高くなるので、引っ張ると音が高くなることはわかりますよね。
演奏しているときは左手の指で弦を押さえて、音を出す部分を短くして高い音を出していますので、短くすると音が高くなるのもわかりますね。
そして、どんな物でもそうですが軽いものほど早く動かすことが出来ますから、弦を軽くすると振動を早くしやすいのです。
4本のうちE線だけ短くするわけにもいきませんし、強度も限界がありますから引っ張りすぎるわけにもいきません。
つまり、E線の弦は他の3本と同じ長さで強すぎない張力にしないといけませんので、それを実現するためには弦をなるべく軽くする必要があるのです。
これをまとめると、演奏できる適度な長さの適度な張力の弦を作るためには、高音の弦は軽く(細く)、低音の弦は重く(太く)する必要があるのです。
低音弦楽器の本体が大きく、弦が太くて金属を巻いて重くしているのは、細く軽い弦で低い音域を出そうとすると、張力の弱いビロンビロンな弦になって音がちゃんと出ないためです。
試しにバイオリンのG線のみで良いので、オクターブ下に調弦してみてください。ビロンビロンになってちゃんと演奏できないと思います。
こういった理由から、E線用のガット弦は軽くするために切れないギリギリの細さにしないといけないので、スチールに比べて耐久力が低く輝かしい大きな音を出すことが出来ません。
つまり、E線のガット弦には音色・音量・耐久性において現代の演奏スタイルでは満足出来るものが無いからです。
そのため、モダンバイオリンにはE線にスチール弦が一般的に用いられているのです。
とは言え、20世紀初頭までバイオリン用スチール弦は現れませんでした。
初めはガット弦
16世紀にバイオリンは生まれましたが、初めはバイオリンの弦といえば羊の腸をよじって作った裸のガット弦を使うのが当たり前でした。
当時は弦メーカーも個人工房で職人が作るものしかなく、特に弦を一定の細さに削る作業が手作業だったために均一な細さが作られず、調弦時の5度を取るのが難しい弦も少なくなかったと言われています。
その上、天然素材ですからメーカーによって素材の品質や太さにもばらつきがありました。
その後、17世紀半ばに銀や銅を使った巻線が発明され、低音弦を細くすることに成功します。
これによって低音楽器の音量・音質の発展に貢献したと思われます。
この巻線技術によって弦のバリエーションは大きく飛躍し、低音楽器を演奏しやすい大きさに出来るようになりました。
その後、徐々に弦の生産は工房による家内制手工業から大規模工場へと変わっていきます。
その中でも1798年にイタリア人のジョルジォ・ピラッツィ(Giorgio Pirazzi)によって、後の2大メーカーのひとつである「ピラストロ(Piastro)」の前身となる「Giorgio Pirazzi & figli」という弦メーカーが現れます。
ジョルジォ・ピラッツィは1766年にスイスとの国境に程近いイタリアのドモドッソラ(Domodossola)で生まれ、14歳の時にナポリとローマの弦工のもとで弦の製造技術を学んでいます。
見習い期間を終えたジョルジォは、マッジョーレ湖のほとりにある自宅に戻り、フランクフルトに移住して成功したイタリア人の家族と出会いました。彼らの招待に応じてフランクフルトに休暇に行き、そこが気に入ってドイツに定住することにしたのですが、ここでの事業はうまく行きませんでした。
最終的にはオッフェンバッハの裕福な地主からの招待を受けてその土地に工場を設立し、自分の技術を追求することになります。
彼の事業は着実に成長し、1890年代には創業者の孫であるグスタフ・ピラッツィが友人のテオドール・ストローベルをビジネスパートナーとして招き、この時に二人の名前の最初の4文字を組み合わせて、ピラストロ(PIRA-STRO)が誕生します。
特にピラストロ社の自動研磨機の開発は革新的だったと言われます。
この機械により弦の細さが均一になり、5度が取りやすくなりました。
スチール弦の台頭
1914年、第一次世界大戦が勃発します。
工場が戦争の被害に合うといった事以外に、ヨーロッパの弦メーカーにとってこの大戦は大きな影響を受ける事件でした。
それは負傷兵が大量に出るようになった戦争だからです。
第一次世界大戦はそれまでの騎士や騎兵が戦闘技術を競い合う戦争と違い、鉄条網で身動きが取れなくなった兵士を機関銃で薙ぎ払う、それまでとは全く違う恐ろしい戦争でした。
そのため、死者も今までとは比べ物にならないくらいに膨れ上がり、負傷者も大勢戦場から連れ戻されるようになりました。
そして、当時は傷口の縫合には一般的に動物の腸を使用していたので、多くの負傷者の治療のために羊の腸が縫合糸として大量に必要になったのです。
そのため、多くの弦工場が縫合糸生産に転換しました。
実は現在でも動物の腸を原料とした縫合糸は製造されており、一部の地域では使用されています。しかし、BSE(牛海綿状脳症)の発症原因となる懸念から、日本やヨーロッパなど多くの国では使用は禁止されています。
このように縫合糸の大量需要によって、バイオリン用ガット弦が不足するようになりました。
それを受けて、バイオリン用スチール弦が登場し学生やアマチュア演奏家に定着するようになりました。
実は金属製の楽器用弦は歴史が古く、アウグスブルクでは1351年には楽器用の鉄線が引かれていたという記録が残っており、この頃はプサルテリオン(Psalterion)という小さな琴のような楽器に使用されていたと考えられています。
その後、金属弦はチェンバロからピアノフォルテに至るまで使用されてきており、19世紀には現在のようなピアノ線が発明されています。
しかし、スチール弦はバイオリンには長らく使用されてきませんでした。
これはおそらく音色の問題で敬遠されたのが主な原因でしょう。
しかし無い物ねだりも続きませんから、ガット弦不足がバイオリン用スチール弦を一般化するきっかけとなったのです。
戦争でスチールワイヤの加工技術が向上したこともあり、1920年頃にはスチール弦はプロも認めるほどの品質に達したと言われていますが、第二次世界大戦頃までは「プロはガット弦を使用するのが当たり前」という風潮だったようです。
ただし、カール・フレッシュは「ヴァイオリン演奏の技術」(1923年)でスチールのE線のメリットについて「スチール弦では弦の交換が1週間に1回で済むようになる」と書いています。つまり当時でもガットのE線弦は1週間に何回も交換する必要があるほど耐久性に問題があったわけです。そのため、同書ではオーケストラの団員にはコストの面でスチールのE線弦を勧めています。
現在、ガットのE線弦はバロックバイオリンなどの古楽を演奏する方たちが主に使用していますが、古楽ではA=415Hzなどで調弦するため弦の張力は弱くなるので十分耐えられますし、弦の加工技術も昔と比べて向上しているので簡単には切れなくなりました。
ナイロン弦の登場
さて、現在バイオリンではE線以外の3本は今やナイロン弦が主流になっています。
その最も売上を出している弦がトマスティック・インフェルト社が製造している「ドミナント」と呼ばれる弦であるのは皆さんも御存知のとおりです。
このドミナントが作られたのがナイロン弦の始まりの歴史でもあります。
1914年、オーストリアのフランツ・トマスティック博士(Franz Thomastik)がスチール弦の特許を取得、1919年にオットー・インフェルト(Otto Infeld)と供にトマスティック・インフェルト社を設立し、1926年には4本セットのスチール弦を発売しています。
この様にトマスティック・インフェルト社は当初はスチール弦の発売を始めますが、上記の通り演奏家にはなかなか受け入れてもらえず、今のようなバイオリン弦を代表する会社ではありませんでした。
第二次世界大戦で工場は破壊されましたが、戦後すぐに立て直して1958年には細いスチールの糸をより合わせて作った「スピロコア」を発売しました。
この「スピロコア」は現在でもチェロのG・C用に人気のスチール弦です。
そして1970年、「ドミナント」を発売しました。
その後、ピンカス・ズーカーマンとイツァーク・パールマンがこの弦を使用したことをきっかけに、バイオリンの弦はガットからナイロンへと勢力図が大きく変わることとなります。
現在はこのドミナントがバイオリンの標準弦として認知されており、この弦を基準として様々なブランドの弦の特徴を語るのが一般化しています。
現在は各弦メーカーが新素材による新たな弦の開発にしのぎを削っており、毎年のように新たな弦が生み出されています。
それでも、演奏家の中にはガット弦の音色を好む人が一定数いるので、ナイロン弦が主流とはいえ、ガット弦もまだまだたくさん使用されています。
弦の歴史:年表
以上がバイオリンの弦の歴史です。
まとめると以下のようになります。
1351年:楽器用スチール弦の最も古い記録
16世紀:バイオリンの誕生、当時の弦は裸のガット弦
17世紀半ば:銀や銅を使った巻線が発明
1798年:「Giorgio Pirazzi & figli」(ピラストロの前身)設立
1890年代:ピラストロ設立
1914年:第一次世界大戦勃発、多くの弦工場が縫合糸生産に転換
ガット弦の品薄からスチール弦が一般化
1919年:トマスティック・インフェルト社設立
1926年:トマスティック・インフェルト社、4本セットのスチール弦を発売
1970年:トマスティック・インフェルト社、初のナイロン弦「ドミナント」を発売
現在はナイロン弦が最も多く種類があり、使用している人口も多いので信じられないかもしれませんが、50年以上前にはナイロン弦はありませんでした。
そう考えると、すでに完成されているように思えるバイオリンという楽器ですが、まだまだ進化し続けている途中なのかもしれません。
出典・参考文献
ダニエラ・ガイダーノ著: 「ヴァイオリン属 ガット弦の変遷」
Recueil de Planches,sur les sciences,les arts libéraux,les arts méchaniques,avec leur explication
Alfred Dolge,著: 「Pianos and their makers」 1848
Wikipedia
Octobass:
ドモドソッラ:
Catgut suture:
プサルタリー:
イツァーク・パールマン
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