【70日目】東日本大震災の記憶を取り戻すべく10年前を振り返ります
不動産投資を勉強中のイケです
あれから10年
時が経つのは本当に早いです。もう2度と経験したくない出来事。あの時、私たちは様々なことを学びました。津波が起きた地域では大変多くの方が亡くなり、映像を見た時は本当にショックでした。そんな中、先人の教えによって高い場所に逃げることができた方も多いのではないでしょうか。
地震大国日本では、またいつ同じ規模の地震が起きてもおかしくありません。当時の出来事を振り返り、改めて防災について考え、子供たちに伝えていかなければならないと思います。
私は当時オフィス内で仕事をしていました。場所は東京都心の高層ビルの15階です。立っているのが大変なくらいの揺れでした。ビルが免震構造だったのか、揺れは長く続いたのを覚えています。
私のいたビルは東京タワーが近くにありました。その東京タワーの先端が地震によって曲がりました。なかなか写真ではわかりにくいですが、あまりの出来事に思わず写真を撮ったのでした。
振り返ると色々あり、なかなか書ききれないですね。当時困ったことについて少しだけ書きたいと思います。
連絡手段について
幸いなことに電気やインターネットは正常でしたが、電話は使えません。連絡手段としてとても強かったのがインターネットでした。これは今後も覚えておいた方が良いと思います。と言っても、今では信じられませんが当時はLINEがまだサービスインしていなかったのでメールでのやりとりです。家には嫁さんと生まれたばかりの子供が家にいたので心配で電話連絡しましたが全然つながらなく、メールのみのやりとりでした。あとはTwitterです。Twitterは良くも悪くもとても強いインフラでした。悪くもと書いた理由は、デマです。当時もデマは結構あり、真実を見極めるのは正直言って難しかったです。
エレベーターが止まったこと
地震後から当日はずっと止まったままでした。食料を買いにコンビニへ行くにも15階から階段で降りなければなりませんでした。戻る時も当然階段です。外に出るのが億劫になりました。タワーマンションに住んでいる方はそういうのを覚悟して住んでいますでしょうか?
日用品が買えない
最近では一年前の新型コロナ初期の頃にも起きたので記憶に新しいかもしれませんが、当時も水やトイレットペーパーなどが無くなりました。我が家は生後1ヶ月の赤ちゃんがいたのでおむつやミルクが必要だったのですが、買えないのです。お店を何件回ったかわかりません。我が子は双子だったため、大量のおむつとミルクが必要だったので非常に焦りました。これ以降、おむつとミルクは大量にストックするようになりました。
ガソリンを入れられない
これは覚えている方が多いと思います。ガソリンスタンドに入る車で大渋滞が起きました。我が家は車を使わないようにしました。通勤が車の人はとても大変だったと思います。その後、ガソリンは残り僅かになってから入れるのではなく、半分くらいで入れに行く人が増えたのではないでしょうか。しかし、今でもそのようにしている人はどれだけいるのでしょうか。
記憶というのは時間と共に薄れていきます。今一度当時を振り返って記憶を取り戻し、防災について考えてみたいと思います。子供たちにも教えていきます。
それではまた
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