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大学で授業を担当する研修は、ありではないか?

「教えてもらわないとできない。わからないのは教え方が悪いからだ」。

小中学校の教員養成をしている私は、教え方について学生たちにそう指導している。子供がわからないのは、わからせる側に問題があるという立場をとっている。

しかし、勉強する側にこういう考え方が許されるのは、高校生ぐらいまでかなあ。

勉強は、最終的には独学だと中野孝次先生から、私淑した。勉強は、教えてもらうものではなく、自分でやるもの。これを学生時代に知れてよかったと思う。

その人に必要なことは、その人が自分でなんとかするしかない。学生時代にスペイン語なんて習っていなくたって、ペルーから生徒が転校してきたら担任が勉強するしかないと私は疑いなく思った。

『大学ではスペイン語なんてやっていません。フランス語と英語です。だから、わかりません』


なんて言わない。必要に応じて自分で勉強するしかない。それが社会に出てからの勉強。

ただ、こういう日々の問題を解決するのに追われて勉強するだけでなく、一年ぐらいじっくりと今までの問題を整理するとか、新しい理論的な課題に取り組むという時間が15年に一回ぐらいはあってもいいなあと思う。

一年でなくても、半年でもいいからあったらいいなあと思う。実践現場にサバティカルとしてあったらいいなと思う。

また、最近思うのは、10年目、20年目の研修で大学で授業を担当するという研修があっていいんじゃないかなあということ。15回ではなく、1回。シラバスは大学が用意して、そのテーマに該当する先生が教育委員会の派遣で授業を、研修として担当するというもの。

教職実践演習特講のような授業を作って、

1.子ども観
2.社会変化と保護者
3.保健室から見える子どもの変化
4.部活動のあり方
5.宿題考
6.授業づくり 小学校低学年
7.校務分掌
8.クレーマー対応
9.校内研修会
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のようにしてやる。

私が大学院に通っていた時も感じたのだが、現場にいる先生は、講義を聞いて研修を受けるというのは苦手だと思う。授業をしながら研修を受けられる、授業をすることが研修になるというのがいいのではないかと思う。

see one, do one, teach oneである。
見て覚える、やって覚える、教えて覚える。
教えた時に、自分が理解していることがよくわかる。

学生たちにとっても、毎日小・中学生に接している先生たちの声を聞くことができるというメリットがある。

予算的にも問題ないと思うし、結構いいプランだとは思うのだが。文科省、教育委員会の皆さん、いかがであろうか?

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