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旅の結論、「もっと家族で冒険しよう」。かけがえのない思い出たちとともに進んだ帰路【8月30日〜9月7日 鹿児島市〜大阪市〜三重県伊勢市〜愛知県〜神奈川県茅ヶ崎市】

帰ろう。

屋久島で私たちは、そう決意しました。息子の命と向き合い原点にかえり、その原因が「旅の疲れ」にもあるかもしれないと感じたこと。意識を失った息子の顔を思い出すと、正直、旅を続ける気力が維持できないと思ったこと。娘の気持ちが帰る方向に向いていたこと。このあと訪れたいと思っていた長崎・福岡・佐賀での大雨被害が報道されていたこと。すべての状況が、「帰る」方向へ向かっていました。

会いに行くはずだったみなさんにゴメンナサイの連絡をして、このあとのことを、娘も交えて家族で話し合った。屋久島から神奈川県茅ヶ崎市の自宅までの道のりで、「これはやりたいよね」と、決めたのはこんなこと。

・鹿児島名物「白熊」が食べたい(娘、ママ)

・USF(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)に行きたい(娘、パパ)

・伊勢神宮で安全な旅のお礼参り(パパ、ママ)

・ママの実家(愛知)で、ランドセルを買ってもらう(娘、パパ、ママ)

マジ?この旅でUSJ!?と愕然とした人混み嫌いな私…。でも4人の旅だもんね、お付き合いしますよ〜(笑)。さあ、帰路へ!

屋久島から鹿児島までは、フェリーで4時間。鹿児島の道の駅で1泊した翌日、「白熊」をお目当てに「たなかフルーツ」へ。検索して見つけたお店で、鹿児島ではなく宮崎だったけど、そこはご愛嬌。娘の大好きなマンゴー入りの「黄熊」もあって、なんて豪華!ありえないサイズ感の「白熊」「黄熊」をオーダーして、3人で大はしゃぎしながらいただいた。さすがフルーツパーラー、果物はどれも絶品!う〜ん、満足満足。

その日の夕方、乗り込んだのは鹿児島→大阪を航路とするフェリー「さんふらわあさつま」。17:55に鹿児島を立ち、翌朝7:40には大阪着。しかも到着地はUSJのすぐ近く!まるで私たちのために用意されたようなフェリーで、一夜を過ごした。ディナービュッフェや露天風呂もあり、快適そのものの豪華客船で、なんだか優雅な船旅だったなぁ。

目覚めると、外は晴天。さあ、大阪が見えてきたよー!

めったに遊園地など行かない我が家、娘はハイテンションでキャンピングカーに乗り込み、一路USJへ。よく考えると今日は8月31日。夏休み最終日に、まさかのUSJ突入です、ひゃ〜(苦笑)。

ミニオンに遭遇したり、ハチャメチャライドで大騒ぎしたり(クオリティ高かった!)、おさるのジョージに大興奮したり、スヌーピーでまさかの2時間並んだり(泣!)。ミニオンの水鉄砲が欲しすぎて大泣きしたり(娘)、ポップコーン食べ過ぎたり(娘)、途中雨に降られてずぶ濡れになったり、携帯の充電がなくなり主人と連絡不能になったり…(笑)まあ、いろいろありました。でも開園から閉園までずーっとこの世界を身体いっぱい、心いっぱいで楽しむ娘の姿を見ていたら、あぁ、来てよかったな、と。童心にかえって楽しんでいた主人の姿も、愛おしかったな。

本当に閉園ギリギリまで遊び切った娘。車に乗ると、あっという間に夢の中へ。汗臭いけど歯磨きもしてないけど、まあ、たまにはこんな日もね。大阪の蒸し暑い夜を24時間営業のスーパーの駐車場でやり過ごし、翌朝、スーパー銭湯で汗を流した。そのまま昼までまったりくつろいで、高速道路へ。次の目的地は、伊勢神宮!

道中、大雨に遭いながらも2時間ほどで伊勢神宮へ到着。もうあと1時間で閉まってしまう時間だったので、外宮のみ参拝することに。雨上がりの伊勢神宮の参道は、うっそうとした木々に包まれてなんとも神秘的な雰囲気。家族4人で手をあわせ、ここまでの旅を安全に過ごすことができた感謝の気持ちを伝え、これからの家族の健康を祈願しました。4人元気で、ここまで来られて、本当に良かった。本当に、ありがとうございます。

この日の夜は、「松阪牛が食べたい!」という主人の夢を叶えるため、焼き肉やさんへ向かうことに。その道中、光がさし始めた外を眺めると、大きな虹が!「にじーーーー!!!」と大興奮の娘。あぁ、美しい。地球がくれたプレゼントに感謝!

さて、松阪牛。噛み切れないという理由で焼き肉嫌いな娘も、ぺろりと平らげてしまうほどとろとろの絶品だった。ここでしか食べられない贅沢な味わいに舌鼓を打ち、道の駅で就寝。道の駅で眠るのも、これが最後かなぁ。

翌朝、最後のラジオ体操は、道の駅のみなさんと一緒に。朝ごはんも道の駅でいただき、今日は愛知県一宮市へ向けて出発。私の姉の自宅にお邪魔することになっていた。

愛知県は、私の故郷。あぁ、いよいよ、旅の終わりが見えてきた。家族みんなで出迎えてくれた姉の家では、小学生の甥っ子たちとトランプをしたり、キャッチボールをしたり。キャンピングカーにも乗り込んで、楽しんでくれた。なんでもない日常が戻ってきたようで、ほっとした時間だった。お姉ちゃん、みんな、忙しいなか私たちに時間を割いてくれて、本当にありがとうね。

一宮市を出発して、今度は豊田市へ。私の実家へと車を走らせる。「旅の最後は実家だね〜」なんて話していた最後の目的地に、ついについに、到着。見えてきた実家、そして笑顔で出迎えてくれた両親の笑顔に、じんわり、心があたたまる。ただいま、無事に、帰ってきたよ。今夜はとりあえず、カンパーイ!(私はノンアルだけど)

翌日は両親に甘えて遅くまで眠り、心も身体もたっぷり充電。旅の話をあれこれ聞いてくれて、孫たちの無事を喜んでくれる両親の存在は、本当にありがたい。みんなの支えと理解があっての旅だったなぁ、と再認識。

そしてお約束どおり、父に甘えて、娘のランドセルを買いに出かけた。カタログで見て娘が気に入っていた土屋鞄の店舗へみんなで出かけ、あっちがいいかな、これもいいよね〜、と、ランドセルを物色。いつもはなんでも即決の娘だけど、さすがにランドセルはそうもいかず、最後の最後まで悩み抜いて、ラベンダー色のものを選択。うん、よく似合ってる。

実はランドセルを買ってもらうことは、私たちの旅のひとつの結論から導かれたこと。旅立ち前、4月から娘が通う小学校について、私たちには選択肢があった。ユニークな教育を取り入れていて教育理念に共感できる私立小学校(電車で通う距離)を受験するか、それとも地元・茅ヶ崎の公立小学校に通うか。両校の見学を済ませて私立の願書も取り寄せた状態で、旅に出発。公立ならランドセルが必要だけど、私立は指定のものがあり買う必要がなかったため、プレゼントを申し出てくれていた父にも待ってもらっていたのだ。

旅では、いろいろな家族のいろいろな選択を見てきた。小学校入学を見据えて、家族まるごとで移住した家族。離れた小学校に通うため、母子だけで移住した家族。お子さんが小学校には行かないという選択をし、家族全員で幼稚園に通う家族。もちろん公立小学校・中学校を選んだ家族や、電車通学する小学生家族にも出会った。どれもそれぞれに魅力的で、素晴らしい選択。そんな多様な生き方を見てきて、みんなと対話して、「じゃあ、私たち家族は、娘は、どうするんだろう?」と考えた。

旅を通して私たちが出した結論。それは、「茅ヶ崎の公立に通う」だった。まず大前提として、家族まるごとで一緒に生きていく、それは私たちが一番大事にしたいこと。そして公立を選んだ一番の理由は、娘が「茅ヶ崎小学校がいいな」と言い出したから。私立の体験授業を目を輝かせて楽しんでいたのに。「行ってきます」と自分で家を出発して、自分の足で歩いて学校に行くこと、「ただいま」と自分で帰ってくること、そして放課後に近所のお姉ちゃんたちと遊ぶことを心から楽しみにしている。自分の徒歩圏内で思い切り根を張って生きることができる小学校時代。そのかけがえのない時間は、親の判断で奪えないな、と思った。見学に行ったときの、地元小学生のみんなの、雑然とはしていながらも、多様でいきいきとした様子もうれしく思い出された。

もうひとつの理由は、私たち自身が、茅ヶ崎のまちに根付いて生きていきたいと感じたこと。たとえば私立の小学校に娘が通ったとして、地元の公立小学校が学級崩壊をしていたら、私は「あぁ、我が子は公立じゃなくて良かった」って思えるだろうか?私の答えは、明確にNoだ。私はきっと、公立小学校の現状を「なんとかしなければ」と思う。茅ヶ崎のまちのことは、他人ごとと思えない。旅立っていろいろなまちを訪れて、自分にとって自分のまちのことが、ここまで自分ごとになっていることに、改めて気付かされた。小学校時代、PTAや子ども会を通じて、徒歩圏内の知人が格段に増えるかもしれない。まちの子どもたちをみんなで見守りみんなで育ち合っていける、そんなコミュニティをつくることができるかもしれない。そう考えたら、私の中のワクワクが止まらなくなった。

娘もワクワク、私も(おそらく主人も)ワクワク。結論は明確になった。

私立小学校の教育手法は、とても魅力的だった。でも娘にあっているかどうか現段階ではわからないし、娘の放課後はとても制限されたものとなる。そして、ある程度カテゴライズされた人たちのコミュニティの中で生きることになる。守られた安心安全な環境かもしれないけれど、私には、多様性豊かな地域の人々とのやり取りの中で学ぶことのほうが娘にとっても私にとっても大きいように思えた。理想的な環境を選び取っていくのもいいけど、今の私たちは「ほしい環境は自分たちでつくる」方に気持ちが向いている。そうやって、娘と一緒に、地元でもがいて生きていたい。

旅を通しての家族の気付きとあなたの憧れが詰まったランドセルと一緒に、6年間、小学校生活を思い切り楽しんでね。家族みんなで、楽しもう。

実家には、両親に甘えて4泊滞在させてもらった。じいじ、ばあば、大おばあちゃんと遊んだり話したり、一度訪れたかった知多半島のカフェ「ひとつむぎ」を訪ね、オーナーの前田さんとお話したり。豊かでホッとする実家時間を満喫した。

そして旅立ちの前夜、なんと、両親から表彰状をもらってしまった。

あなた方は家族4人の協力の下、子連れ育休キャラバンと銘打った3ヶ月以上に渡る大冒険を見事に成し遂げました。よってこれを賞します。

だって。あぁ、こうやっていつも私たちの行動も存在も、まるごと認めてくれる両親に支えられて生きているのだなぁ、とじんわり胸が熱くなった。ただ遊んできただけなんだけどね。粋な計らい、本当にありがとう。

2019年9月7日。旅立ちから99日目の朝、両親の笑顔に見送られて実家を出発し、茅ヶ崎の自宅を目指した。青空の中、東名高速道路に乗り、車を走らせる。少し雲のかかった富士山にご挨拶し、途中パーキングでソフトクリームを食べたり。東名から圏央道へ入り、茅ヶ崎海岸ICの看板が見えてきた。

あぁ、ついについに、帰ってきたんだね。見慣れた景色に、車内のテンションは最高潮!みんなで最後の車内で、パチリ!!

100日間?いえいえ、台風接近につき、中途半端な99日で終わってしまいました。

47都道府県制覇?わぁ、程遠い。たぶん40も行けてないかな〜。

やり残したことはない?いやいや、あれもこれも、できなかったこといっぱい、会いたかったのに会えなかった人もいっぱい!

行きたかった場所は行き尽くした?ぜーんぜん!九州なんて素通りしただけでした〜。

旅は美しい時間だった?いやぁ、混沌としてました。問題だらけです!


…でもね。

確かに今ここには、家族4人の元気な姿がある。笑顔がある。

それがすべて。それが最高に幸せ。

そんな、どこまでもシンプルで素直な思考に立ち戻ることができたのは、間違いなく、旅での濃密な家族時間があったから。多くの出会いがあったから。旅という冒険を通して、本質的な家族の幸せに、たどり着いた。旅に出て、本当に良かった。本当に、幸せだった。

だから日常に戻っても、私たちは冒険を続けようと思う。「冒険」と言っても、何も移動するばかりではない。家族でプロジェクトを立ち上げてみるとか、ビジネスを始めてみるとか、家を地域に開いてみるとか、そんな人生の冒険を、家族みんなで、地元・茅ヶ崎で、始めてみたいと思う。失敗しても、下手くそでも、いいじゃない。人生という大冒険を、有限な家族時間のなかで、とことん味わい尽くしてみよう。

もっと、家族で冒険しよう。

これが、私たちの旅の結論。

旅で出会ってくれたみなさん、気にかけてくださったみなさん、ブログを読んでくださったみなさん、抱えきれない感謝の気持ちを送ります。ありがとう、ありがとうございました!

ありがとう、育休キャラバン。
池田家の冒険は、続きます!!

(おわり…ではなく、つづく!)

貴重な時間を割いて読んでくださったこと、感謝申し上げます。みなさんの「スキ」や「サポート」、心からうれしく受け取っています。