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ぬりえ美術館/戦前から戦後の少女の心に残る蔦谷喜一の塗り絵

「2022年10月30日に閉館」と新聞紙面に出ていたことで、その存在を知った「ぬりえ美術館」に、閉館1週間前の10月23日(日)に行ってきた。

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この少女の絵は私も見覚えがある。蔦谷喜一は昭和15年26歳の時からぬりえを描き始めた。太平洋戦争敗戦から2年後の昭和22年からはペンネームを「きいち」とし、販売された「きいちのぬりえ」は毎月100万部も売れ、爆発的な人気を博したという。その後昭和30年代まで、およそ20年間にわたり少女たちに愛され続けたという(「ぬりえ美術館」フロアガイドより)。

館長金子マサさんは喜一の姪。2002年に私邸を新築した際に、その一角に美術館を設置して始まった。今年はちょうど20周年だったが体力的な問題から閉館を決めたという(東京新聞記事)。

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小さな展示室は、かつての少女たちでいっぱい。「かわいいわねー」「なつかしいねー」「どうして終わっちゃうのかしらねー」と口々に言いながら引き出し型の展示什器に収められているぬりえを丁寧に鑑賞していく。「ここが閉まるっていうから、神戸から来たのよ」と館長と話す人も。

「こんなにふっくらしていたかしらね」と、おひとりで来られていたご婦人がつぶやく。「かつて、こちらのぬりえやられてたんですね?」と応答すると、「ええ、あのころは、他に娯楽なんてなかったから」。展示の中に、あの頃の自分がいた。

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