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社会問題とのキョリの取り方。

西加奈子さんの小説『 i (アイ)』を読んで、社会問題とのキョリの取り方について思い出したこと、考えたことがあったので書き残しておきたい。

小説の内容はぜひ読んでいただきたいところだがざっくり私なりに説明すると、

主人公はシリアで生まれて赤ちゃんの時に、アメリカに住むアメリカ人(父)と日本人(母)の夫婦の養子になる。

養子や国籍の違いによる特有の孤独やアイデンティティの話かとはじめは思った。そういうこともあるのだなぁ、と日本で生まれ日本人の夫婦の実子として育った私は読み進めていた。しかし、途中でぎゅっと共感を迫られることになる。

主人公は父の転勤で来日し、高校生になったとき、自分の恵まれた環境に罪悪感を持ち、”選ばれた自分がいるということは、選ばれなかった誰かがいるということだ”と考えを深める。同時に、事件や事故、災害などがあったとき、なぜ自分はいつも”こちら側”なのか、自動的に助かっている自分、選ばれ続ける自分は一体何なのかと悩む。

平成に生まれ、日本は東京で暮らした自分もずっとそのことが頭から離れなかった。小説の中での落としどころも、あぁ、そうだよね、とまた自分のことを思い起こすことになった。

小学校から教え込まれる社会問題

恵まれている私たちは、小学校からユニセフの募金やアフリカの学校に通えない子どもたち、アフガニスタンの戦場で人が亡くなっていること、車いす体験、高齢者体験、東南アジアの貧困について問題の構造はわからないまま、授業時間の関係上議論をすることもないまま"大変な人たちが世界にはいる"ということだけ知らされた。自分たちが遊んで習い事をして帰ったら風呂に入って作ってもらったご飯を食べて布団で眠る今も。ただ日本に、経済的にも困っていない両親のもとに生まれただけでたまたま自分はこっち側の人間で、たまたま綺麗な水がないアフリカのどこかに生まれただけであっち側の人間。

皆が一様に"かわいそう、自分は恵まれている、恵まれているのだから大事に生きなきゃいけない、その人たちの分も、できるだけ助けてあげなきゃいけない"という感想を持つしかなかった。

恵まれている自分はせめて不幸にしていなければならないという呪縛

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