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【インタビュー】小さな決断の積み重ねが、望む未来につながっていく ②

前回までの記事はこちら。

■長年の夢だった海外移住

新たな夢が生まれた一方で、海外で暮らしたいという夢はまもなく実現する。それは純子ちゃんの長年の夢だった。
大学生の頃から海外旅行が好きで、バックパッカーとして世界を回り、ホームステイや短期留学を経験した。海外好きが高じて旅行会社に勤め、その後は航空会社でCA(客室乗務員)になった。その頃から海外で暮らしたいという気持ちが芽生え、国内線のCAを辞めてワーキングホリデーでフランスに行くことを考えていた。そのタイミングで国際線の募集がかかり、応募して通ったため、結果的にワーキングホリデーはしなかった。
一方、純子ちゃんの夫は、高校生のときに一年間アメリカに留学した経験があった。海外での生活経験がある夫が羨ましかった。

2年ほど前に家族でアメリカを旅行した。
仕事の関係でアメリカのスタンフォード大学に留学していた友人家族を訪ねた。友人にスタンフォード大学を案内してもらうと一目で気に入り、「ここに来たら人生が変わりそう、ここで生活してみたい」と思った。
夢を叶えるコンサルティングの活動をやりたいと思っていたため、スタンフォード大学で心理学の学位を取ったら箔が付くのではないかと思った。夫も、仕事で英語を使いたいという望みを持っていたので、二人でスタンフォード行きを模索した。参考書を購入して勉強もしてみたが、そこで生活はしてみたいがそのためにエネルギーを全てその勉強のために割くのは嫌だと思い直した。また、スタンフォード大学に行きたいという望み自体がダミーの願いだと気づいた。

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しかし、海外で暮らしたいという思いはあったため、スタンフォード大学があるシリコンバレーに住めないかと調べた。おりしもトランプ政権になり、厳しい移民制限をしていて、ビザを取るのが難しかった。また、生活費も思った以上にかかることが分かった。家賃、子どもたちの保育園やアフタースクールに加えて生活費も入れると、月100万円以上はかかる。現実的には厳しかった。
そんなときに、偶然シリコンバレーで働いている知人に会った。
「今の会社を辞めて来週には別の会社に行くんだけど、もし僕がいる会社を受けたいのであれば、会社にいる間なら推薦状を書くことができるよ」
と言われた。考える時間は一週間しかなかったが、夫が行きたい会社だったため、このチャンスにかけようと推薦状を書いてもらって応募した。残念ながら結果はダメだった。しかし、やれることはやったため、夫婦とも海外移住熱はいったん収まった。

アメリカ移住の話とは別に、純子ちゃんには一人で海外で生活したいという望みが結婚前からずっと心の中にあった。自分との対話を通して、いまだその望みがあることには気づいていたが、小さい子どもたちを残して一人で海外に行きたいという夢は、わがまま過ぎて夫には言えないと思っていた。
そのことを友人に話すと、「試しに旦那さんに言ってみればいいじゃない」と言われて、怖いけれど言ってみようと思った。直接言うのは無理だと思い、LINEでおそるおそる伝えたところ、「親子留学ならアリかも」と返ってきた。
反対されると思い込んでいた純子ちゃんは少し驚きながらも嬉しかった。親子留学の発想がなかったから、それも目から鱗だった。よく考えたら、単身で行っても淋しいから親子留学がいいかもしれないと思った。夫に言えたことで、一歩前進した感じがした。

そんな中、夫の姉夫婦が家を建て、昨年の5月頃に新居に遊びに行った。
家を見たら、夫婦ともにやっぱり家を建てたいという気持ちになった。というのも、結婚当初から住んでいる今の家は、子どもが3人に増えて手狭になっていて、引っ越しの話はかなり前から出ていたからだ。

「私は前から家を建てたいと思っていたんだけど、夫もこれをきっかけに現実的に考えるようになったみたい。アメリカ移住の話も落ち着いたし、じゃあ家を建てようかという話になって、1ヶ月くらい土地を探したり、住宅展示場を見学したりした。ただ、そうした中で、この先ずっとお金や仕事の面で縛られるのはどうなんだろうと夫は考えたようです。そうしたら、ある日突然、夫が『ドイツに行くのはどう?』と言いだして」

夫は外国で勉強をしたいという希望があったが、スタンフォード大学は私立で学費が高額だったため断念した。ドイツの場合は、なんと小学校から大学院まで公立校は学費無料だった。しかも、ベルリンには昔から家族ぐるみで仲良くしている友人がいる。その友人と、「いつか近くに住みたいね。ドイツで一緒に子育てしたいね」と話していたのを思い出した。
夫に提案されて、「ああ、たしかにそれはアリかも」と思った。調べてみると、色々な不安がクリアできそうで、ドイツでの生活がすんなりイメージできた。夫婦の希望が全て叶うベストな形だった。思いがけない展開で、夢が現実化することになった。

しかし、面白いもので、海外移住の夢が叶いそうになった途端に今度は不安が押し寄せてきた。
はじめは、まずは夫が先にドイツに一人で行き、生活の基盤をセットアップしてから家族を呼び寄せるというイメージで話していたが、会社を辞めてから海外移住をすると、初期投資やランニングコストを貯金でやっていくことになる。それはかなりリスクがあり不安だった。そこで、夫は日本に残って仕事をして、純子ちゃんが先に行く方が現実的なのではないかという話になった。

ドイツに行く時期を決める際に、純子ちゃんは心のどこかですぐには無理だと思い、「2, 3年後くらいかな」と言った。ところが夫は、子どもたちの年齢を考えたら今だと思っていた。今度は、夫の方が積極的だった。子どもたちの状況を考えて、2020年の4月に純子ちゃんと子どもたちが先にドイツに行くことになった。
ビザを取得するのも大変そうで自分にできるのか不安だった。すると、夫は「ビザはエージェントに頼もう」と提案してくれた。
不安材料が一つ一つクリアされていき、ドイツに行かない理由がなくなってしまった。あんなに望んでいたはずなのに、まだ自分の中で覚悟が決まらなかった。夢が現実味を帯びてくると、怖さが出てくるものなのだと実感した。7月にドイツ行きの話が出て、8月には移住する方向にはなったが、まだ迷いがあった。

覚悟が決まったのは9月だった。子どもたちの運動会で、保育園の先生やママ友から「ドイツに行くって本当?」と聞かれた。「ドイツのことはまだ内緒ね」と子どもたちには伝えていたのだが、それを保育園や学校で話してしまっていた。外堀から埋められてしまい、純子ちゃんはもう覚悟を決めるしかないと思った。そうやって周囲にドイツ行きのことを話し始めたことで、自分の心も決まり、秋頃からドイツ行きに向けて動き出した。


■茶道を通して、人が自分の才能を開花させるサポートをしたい

ドイツでは茶道と瞑想の講師をやることになった。
ビザを何で取得するかをエージェントと相談していたところ、「アーティストっぽいことがあると取りやすい」と言われた。何も思い当たらずにいると、夫がすかさず「茶道の資格があるじゃん」と言った。
実は、20年ほど前に表千家の茶道を習っていた。色々なものの中に美しさを見出すのが好きだった純子ちゃんは、茶道の文化、歴史の積み重ね、所作、おもてなしの心に美しさを感じた。人と時間を共有して心地よく過ごすところも好きだった。気がつけば10年の歳月が流れていた。そうしたときに、ここまで続けてきたのだから免状を取ったらどうかという話になり、教える気は全くなかったが、せっかくだからと何の気なしに免状を取ったのだった。
エージェントからは「茶道であればビザが取れます。それで行きましょう」と言われた。
純子ちゃんとしては、茶道ではなく、コンサルティング、コーチング、パッションテストなどをやってきたこともあり、ドイツでもそれらをやりたいと思っていた。すると、エージェントは、「茶道でビザさえ取ることができれば、他のことを教える方法はあります」と答えた。
茶道は心を見つめるというところがあり、今この瞬間に集中する感じが、瞑想や夢を叶える過程に似ていると思っていた。茶道に瞑想を組み込むのはいいかもしれないと思った。資格的には表千家の茶道を教えることはできるが、それを伝えたいわけではなかった。茶道という時間や空間を通して、瞑想しながら自分を見つめるということを伝えたいと思った。そうすると、自分の中でやりたいことがつながったような気がした。好きで続けた茶道の免状がこのような形で生かされることになったのが不思議だった。

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純子ちゃんは、ドイツで茶道を通してやりたいことのイメージをこう語った。

「私の茶道に来てくれた人には、自分の才能を開花してほしいと思っている。だから『私の茶道に来た人は才能が開花する』という設定でやろうと思っている。茶道を通して自己対話することで、自分を俯瞰する時間にしてもらいたい。自分が本当にやりたいと思っていたことを見つけたり、やりたいけれどそれを阻んでいるものを見つけたり。
自己対話するときは、自分を責めるのではなく、自分に優しい意識で寄り添うことを知ってほしい。自分を責めると、苦しくなって自分のことを見なくなってしまうから。
自分の中に自分を制限しているものを見つけて、そこから出ていいんだよということを伝えていきたい。私はそれを何度も経験しているから、それを知っている者同士で交流出来たら楽しいだろうな。その制限を一人では見つけられないこともあるし、見つけてもそこから出られないこともあると思うから、茶道を通して、それを引き出し合う仲間ができたらいい。そういうコミュニティを作りたい」

さらに、美しいものや芸術的なことが好きな純子ちゃんは、アーティストたちに来てほしいと考えている。

「ベルリンには、ベルリンフィルをはじめ、様々な分野で活躍している人たちがたくさんいる。そういう人たちとつながり、さらにその人らしく表現していくサポートをしたい。
私はプロではないけれど、表現することにずっと挑戦してきて、今回、優ちゃんに言われた“存在で魅せる”ということなど、舞台に立って分かったことがたくさんある。
自分で自分を制限しているものに気づき、その制限を取り除くことは怖いことだと思うけれど、その怖さの先にあるものは、その人自身はもちろん、みんなが待っていることだから、それを伝える人、サポートする人でいたい」
と目を輝かせた。


小さな決断の積み重ねが、望む未来につながっていく③ へつづく




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