見出し画像

サッカーにて自分が着けた背番号を振り返る

おはようございます。

noteのテーマにて #背番号のストーリー というテーマがありましたので、自分がサッカーをしていた時の思い入れがある背番号について振り返りながら書きます。

1.小学生時代

昔の時代の練習着は代々受け継がれると言えばかっこいいのでしょうか。
基本お下がりというか、卒団した生徒が着なくなるのが下の世代に渡るだけですけども。

自分が少年団に入団した時に着ていた練習着の背番号は”40”番と"8番"。
シャツ、パンツ、ソックスの色が全部青一色に白の背番号。
自分が入る前はすごく人が多かったとのことなので納得。

試合の時は、ゴールキーパーが1番という以外は基本好きな番号を選べました。
昔大勢いてセカンドチームもあった名残なのか、試合用ユニフォームだけでも青、黄色、赤、白、紫と5種類もありました。

昔は毎週土日や祝日に試合が朝から夕方までやるというのが当たり前だったので洗濯が間に合わなかったのでしょう。

ユニフォームを選ぶときは大体学年が上の者から選んでいくスタイル。
自分はその時はそこまでこだわりがなかったので、MFをしていた時は7番か8番、DFの時は3番を選び、5年生になってからは卒団するまでGKをやっていたのでずっと1番を付けていました。

2.中学生時代

ヤンキーはびこる中学時代。
背が伸びなくてGKを止めてからは基本ポジションはDFに変更。

公式戦用以外で着用する試合用ユニフォームの背番号を先輩方に被らないようにして注文。
自分がその時選んだ背番号は”15番”

先輩方に被りがいないことをリサーチしたのと、当時読んでいたサッカー漫画”かっとび一斗”という漫画の主人公にあこがれて。
シャツが白、パンツが黒、ソックスが白という組み合わせ。

公式戦用のユニフォームも色の組み合わせは同じですが、その時は”3番”を着用。
残念ながらまともに着たのが夏大会、新人戦と2回しかありませんでした。

この当時から”3番”にこだわるようになっていた理由として、イタリアのサッカーリーグ『セリエA』にて元イタリア代表、当時ACミランの象徴”バンディエラ”であり「史上最高の左SB」の”パオロ・マルディーニ”がかっこよすぎて憧れるようになったのがきっかけです。

3.高校生時代

高校時代も公式戦用以外の試合用ユニフォームを購入しないといけないシステム、部活はお金がかかるのです。
ホームユニフォームの色がシャツが緑、パンツが紺色、ソックスが緑と珍しい色でした。
ただデザインがかっこよかったので今でも部屋に飾ってあります。

高校時代も先輩方に被らないようにして選ぶ必要があった為、3番は既に埋まっていました。
なので、3番にこだわりがあったので空いていた”23番”を選択。

すると当時、日韓W杯を沸かせたサッカー選手”デビット・ベッカム”選手が銀河系軍団の”レアルマドリード”に移籍することがわかり、その時の背番号がなんと”23番”になったことで同期達に譲れと言われることがあったw。

先輩方が引退してからの公式戦での登録№はレギュラーではなかったが顧問の先生の計らいで”3番”を着用することができました。
今でも感謝しかありません。

また当時1年生の時に3年の部長が着ていた3番がとてもかっこよく見えた。
見た目がごつい連中ばかりいるチームでさらにガタイが良かったために、部長のことを同期達の間では”ボス猿”と呼んでいたのが懐かしい。

4.社会人時代

会社のチームに所属することになった時に着用していた背番号は”17番”
基本会社のサッカーチームは持ち回りなので、自分が入る前に着ていた方が引退した関係で着ることになる。
5年半所属したが会社を辞める最後まで着ていました。

草サッカーチームだと後輩達とやるときはビブスで3番着用。
東京での草サッカーチームでは途中加入扱いなのもあり、いつも先輩方の着ていない番号を着ていたので固定した番号がなかったです。

さいごに


振り返ると色んなユニフォームと背番号背負ってきた歴史があるのだなと書きながら実感する。
今ではオーダーユニフォーム、トレーニングシューズなどに3番を入れて楽しんでいます。
銭湯やロッカールームでも基本3番を探すくらいこだわっています。

皆さんも何か自分にとって思い入れのある数字はございますか?

ここまで読んでくださりありがとうございました。
ではまた。

この記事が参加している募集

背番号のストーリー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?