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サッカー黄金世代の天才、小野伸二選手現役引退

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9/27の午後、北海道コンサドーレ札幌所属の小野伸二選手の44歳の誕生日と共にインスタグラムにて現役引退の発表がありました。

1998年から見続けていた選手でしたので私自身とてもショックでしたが、とうとうこの日が来たかと思いにふけました。
サッカーを知らない人でも小野伸二選手のプレーを見たことがあると思います。
そんな偉大なる選手について個人的に語ります。

1.小野伸二選手とはどんな選手?

【経歴】
清水商業高校→浦和レッズ→フェイエノールト→浦和レッズ→ボーフム→清水エスパルス→ウエスタン・シドニー・ワンダラーズFC→コンサドーレ札幌→琉球FC→北海道コンサドーレ札幌

母子家庭で育ち、13歳の時にU-16の日本代表に選出される。
高校生の時静岡県選抜にて2年連続で国体優勝。

1998年にプロ最初のクラブとなる浦和レッズに入団。
その年に開催された日本初出場となったフランスW杯に最年少メンバーとして選出される。
1999年にはナイジェリアで行われたワールドユース(現U-20W杯)にて準優勝という結果を出す。
各大陸王者同士で戦うFIFAコンフェデレーションズカップ2001でも準優勝に貢献。
フェイエノールトではUEFAカップ制覇と偉大なる記録を当時打ち立てています。

小野伸二選手の何がすごいかというとテクニック。
足元にピタリと止まるトラップ、相手に優しいスルーパスなど別次元の動きをしています。
未だかつて天才と呼ばれるような神童のサッカー選手はいたと思うが、周りからはっきりと認められている天才サッカー選手は小野伸二選手だけという。

2.順風満帆だった時に起きた悲劇

浦和も日本代表も、このまま引っ張っていく存在になるのは間違いないと、当時のサッカーファンなら誰もが思っていたと思います。

ただ小野伸二選手を語る時にセットとなるのが「怪我」
1999年に行われたシドニーオリンピックアジア1次予選フィリピン戦において、相手選手が後ろからスライディングタックルを受けてしまい左膝靭帯断裂という重症を負ってしまう。

怪我によりリーグ戦はほぼ欠場することとなり、この年の浦和レッズはJ2制度ができてから初の降格を味わうこととなる。

怪我から復帰したが、怪我する前と大きくプレーに変化が現れ、慢性的に怪我するようになり、上手くできなくなったと本人も口にしていました。

今でもあの怪我さえなければどこまで行けたのだろうと、世界各国の選手、監督などが証言しており、ifの世界を想像してしまうくらい衝撃的でした。
それでも彼は諦めませんでした。

3.日本人初の欧州タイトル制覇

今では、日本人選手が軒並み欧州のクラブチームでレギュラーとして活躍する日々が続いていますが、日本がワールドカップ初出場時は海外組という存在は皆無でした。

2000年当時では中田英寿さんくらいしか海外のクラブチームで活躍しておらず中々次がいない中、2001年に小野伸二選手がオランダのフェイエノールトに移籍します。
そして欧州タイトル、UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)をレギュラーで貢献し獲得しました。

欧州でも日本人選手が活躍できる礎を築いた立役者の一人だと思います。

4.さいごに

残す公式戦がJリーグのみなので、12/3の最終節がホームでの引退試合となりそうです。
偶然かそれとも必然か、最後の相手になるのはプロサッカー選手としてスタートを切った浦和レッズとの試合になります。

果たして出場があるのかどうかですが、ぜひとも最後の雄姿をこの目で見たいものです。

引退はまだですが、小野伸二選手お疲れ様でした。

ではまた。


見出し画像引用元:
https://www.soccer-king.jp/news/world/cl/20190531/942626.html

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