人生の岐路に必ずあだ名がついてくる

今回はちょっとした小話、ネタ記事です。

「あだ名」友達などを呼ぶ際の愛称というのがメイン。
あだ名がつく人もいればつかない人もいる。
私の場合、むしろ本名で呼ばれることが少なかった。
あだ名が自分という存在を証明していたと思える上に、必ず何かしらの岐路の変化にあだ名がついてきた過去がある。

1.小学生時代

小学生時代ではあだ名が2つありました。

小学生になったときは、苗字が池田なのもあり周りから”いっけー”と呼ばれる。
これは苗字から来ているし同学年で奇跡的に池とつく苗字の方がいなかったので非常にわかりやすく素直に嬉しい。

もう一つのあだ名は”サトボン
サッカー少年団時代は兄がいたのもあり、苗字で呼ばれることはなく下の名前で呼ばれていたが、ある日自宅で兄の友達含め遊んでいたときに年下ながら圧倒的に勝ってしまったTVゲームがありました。
そのゲームは「スーパーボンバーマン3」

爆弾置いて相手とバトルするゲームでなぜかこのゲームだけはうまかった。
そこで冗談半分で兄の友達が「今日からお前サトボンな」という始末。
それを兄が気に入ってしまい、もれなく少年団での活動の際兄と兄の友達が広めたことにより、後輩たちにまで呼ばれることに。
今でも後輩とあうと遠慮なくこのあだ名で呼ばれます。
リスペクトないですが、変に気を遣われるよりかは全然良いので、自分のネットでのあだ名でも使用しています。

2.中学生時代

中学生の時のあだ名は”いけぴこ
理由は元々別の人が呼ばれていたあだ名で語呂が良いからと強制的に呼ばれるようになった。
そこにおまけで”PIKO”というブランドがブームになり益々皆便乗して呼んでくる。
この時は半分馬鹿にされている感じがして正直あまり好きではなかったが呼び捨てよりはマシかなと思うくらい。
ただ女子と話すのが苦手だったのでとっかかりをなくすにはこのあだ名で呼ばれる方が良かったのもある。

3.高校時代

高校時代のあだ名は”ラッキー
昔の人は聞いたことがある芸人”らっきぃ池田”さんから来ている。
こちらも付けたやつが適当だなと思いつつ、愛着はあった。
ただ先生方まであだ名で呼ぶので完全にイジリキャラが出来上がったのもこの時期です。

4.社会人

このままわかりやすくラッキーでいいと思っていたが、上京前に知り合い今でもお世話になっている女性経営者の方から、”ハイパー”と名付けられる。
由来はとある場所でのレクリエーションで出された「あいうえお作文」的な問題の回答をした時に自分が答えが素でわからなかった。
なので思わずハイパーと答えたのを、ふとしたときに女性経営者が愛情と思いやりを込めて思いつきで”ハイパーでいんじゃね”という2秒で決まったのがきっかけ。

さすがにその時は何でですかとツッコミを入れたが、それが浸透し現在に至る。
かれこれ10年以上名乗っています。
自己紹介の際のインパクトのすごさに、はじめましての方が2回目会うときに名前だけは覚えているとよく言われるようになりました。

覚えてもらえたならこっちの勝ち。
今後も多大なるインパクトを与える存在となります。

さいごに

私の場合は、あだ名で大きく道が変わっていく体験をしている。
きっかけはなんでもよいから出会った人たちに衝撃を与える存在となるべく日々精進していきます。

最後まで読んでくださりありがとうございました。
執筆の励みになりますのでスキ、フォロー、コメントよろしくお願いいたします。
ではまた。

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