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「アイヌ民族」の歴史について③

お疲れ様です!タローです!
今回は最終回!アイヌ民族の歴史について③です!宜しくお願いします!

前回は「シャクシャインの戦い」により、幕府側である "松前藩" が大勝したという所 までを書かせて頂きました!

この勝利により松前藩は、広い北海道を区切っていき、本州から呼んだ商人を北海道の各地に配属させました。

これにより、アイヌ民族側は商人達によって
「人権のない労働者」として、安い給料で沢山働かされることになったのです。

江戸幕府から明治政府へと変わると、アイヌ民族の生活もガラリと変わります。

明治政府は「北海道を開拓すれば日本は豊かになる」と考え、北海道大開拓政策を実行しました。

本州から人を大量に北海道に移住させて道路建設や港の整備、鉄道の整備などを急ピッチで進めていき、山や森も容赦なく切り開かれていき、土地を平らにして農業が出来るようしたりなど、様々な事を変えていきました。

アイヌ民族の人々も移住を強いられました。
また、サケ漁やクマ猟も野蛮な行為と見なされ、禁止されました。

そうして慣れない農業に従事することを強いられたのです。

これにより、アイヌ民族はどんどんと日本人化していった訳ですが、アイヌ民族側としては、北海道民としてやっていこうとする人と、アイヌ文化を守ろうという人とで2極化していきました。

時は経ち2007年、国連が「先住民の権利に関する国際連合宣言」を発表しました。

これは、世界中の先住民の権利を守り、差別を無くし、先住民の暮らしを改善することを宣言したものになります。

日本もこの宣言に賛同しました。

実際にアイヌに対しては、200億円程をかけて「国立アイヌ民族博物館」が建設されたり、住宅補助金や奨学金が支給されたりと数々の配慮が施されていきました。

とはいえアイヌ民族が、全てを取り戻せたかといえば全くそんな事はないです。

だからといってアイヌ民族の主張を全て受け入れることになれば、それはそれで日本の経済の発展の妨げにもなってしまう恐れがあります。

つまり現在も尚、「日本の経済発展」と「アイヌ民族の権利や文化」が天秤にかかっている様な状況となっているのです。

今回、知っておくべき大人の教養としてアイヌ民族の紹介をさせていただきました!

 "アイヌ民族" について少しでも知っていただけたのであれば幸いです。

最後まで読んでいただいた皆様には心より感謝致します💛

本日もありがとうございました!✨

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