#4 辛さを乗り越えた人の「軽さ」

日々、生きるのが辛い人もいらっしゃると思います…

思い描いていた未来と違う自分がいる事や、その叶わなかった未来のために、過去で様々なことを犠牲にして頑張ってきた…。

このような方もいらっしゃると思います。

何を隠そう、自分も今、生きるのが思いのほか辛いです…

苦しさへの対処は前回等の記事でほんの少し書きましたが、今もまだ考察・実行中であり未だ未解決事項です。(なのでもう少しお待ちを…)

ただ、最近は「辛さ」の時期を「正しく」乗り越えた人の中には、ある「軽さ」を持つような人が存在しているように僕は感じています…

誰とは言いませんが、いるんです。そのような人が。

今は絶望に瀕していたり、何も見えない状況下にある人も、いつかその辛い経験の呪縛から解放される瞬間が来るかと思います。

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いつか何の気なしに、今まで囚われていたその「価値体系」そのものを乗り越えて、その高みから笑って過ごせる日が確かにやってきます。(多分)

ロジャーラビットが得意とすることかもですね…笑

つまり価値体系からの「侵犯」

「侵犯」とは哲学者ジョルジュバタイユの言葉です。しかしここで言う、価値体系からの「侵犯」、「脱却」はバタイユの意味するところでもないし、何も「逃げ」の言葉ではないです。
(例えば、学生さんなら、模試でどうのこうのだから、模試そのものの、ひいては進学そのものの価値を否定する…←これは「今は」微妙に違うかも…ということです。)【いつかまた書きます】

苦しい日々から何かを学んで、「冷めた利他愛」を実行し、

いい意味で、今まで苦しんでいた社会の「価値体系」から脱却、侵犯し、過去を笑って紡げる人になれたらとても良いですよね…

自分はそう思います…

価値体系からの侵犯及び「軽さ」のちゃんとした説明はまたいつの日か。今回はちょっとした さわりでした…

(自分が、利他愛など、色々とまだ実験中なので、正しい!と確定できる情報ではないのでごめんなさい…自分で実感を持って結果が出せたらもう少し自信をもって情報を提供できるのですが…

なにぶん、自分も今絶賛、苦しみ中ですので、他人を思いやれる温かい言葉が中々浮かびません…今は自分が提供できる最大限の情報を開示していて、この中で少しでも誰かの役に立てれば…と思い、noteを書いています…)

もしかしたら、読者に、「幸せになれるという保証がないのに、余計なことを書くな!」と言われるかもしれません…。

本当にごもっともです…ごめんなさい…

ただ、noteを訪れている方々の中には、例えば「アドラー心理学」や「正負の法則」etcを読み込んで、試したけど、今も辛い…泣

という方もいらっしゃるかと思います。苦しみは人それぞれなので、解決方法も書籍数冊分じゃ足りない人もいるかもしれません…「苦しみ」に関して、他者とその大きさを比較することもやってはいけないことですし、ましてや安易に人の苦しみを理解できると思い込むのもまた少し傲慢です…

この記事を書くにあたって、今現在、または過去に辛い記憶も持っている方々に少しでも力になれれば…と思います。勿論、書籍にはかないませんし、自分自身もまだまだ人生経験は浅いです…

ただ、この文章の何処かで、何か一文字でも、これを読んでくださった皆様の一瞬の安らぎにでもなれば望外の喜びです…

辛さを乗り越えた人に訪れる「軽さ」はかなり楽しいものだと思います。

勿論、辛かった日々は消えませんがなんかどうでもよくなってます…

ノートルダムの鐘のtopsy turvyという曲は「侵犯」に関連した「楽しさ」をよく表してる気がします…


ここまで読んでくれてどうも、ありがとうございました。

少しでも参考になれば幸いです

次の記事は短くて2日後か、半年後の予定です笑

あくまで、自分が死んでなかったらの話ですが…笑

またお会いしましょう!たぶんね。それでは アディオス…

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