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拓郎の東京 ~地名が出てくる吉田拓郎の唄~(3)

 他に東京の地名が出てくる曲はないか?
 少し変化球になるが次が見つかった。

メランコリー(1977)
→「乃木坂」


それでも乃木坂あたりでは
私はいい女なんだってね

 詞は喜多条忠。梓みちよが歌ってヒットしたらしい。拓郎はアルバム『ぷらいべえと』でセルフカバーしている。

あの娘に逢えたら(1977)
→「新宿」


新宿あたりで見たって
噂に誘われ ふらり

 もらった夢を返そうと、あの娘を捜して新宿あたりを歩いている。「も一度賭けてみようなんて バカな想いにふけ」りながら。詞は吉田拓郎。

 地名は出てこないのだが、こういうパターンもある。

Y(1981)
→「ダイエー」


僕の趣味は 雨の日のドライブと
ダイエーでのお買い物
(…)今度連れてって あげたいな

 このダイエーは碑文谷店であることが特定されている。当時のダイエーはどんなステータスだったのだ?
 現在はイオンスタイル碑文谷に生まれ変わっている。詞は吉田拓郎。

 次も少し変化球になるが、

風の時代(1983)
→「神田川」


あの頃の流行唄は 心もよう 神田川

「心もよう」は井上陽水が、「神田川」は「かぐや姫」の南こうせつ(拓郎がラジオでしょっちゅう反りが合わないと公言している)が唄った曲である。
 私は昔のフォークソングの流行歌を知っていたから東京に来て神田川に出会ったときは狂喜した。見た目はただのドブ川であるが、「これがあの三畳一間の……」と思ったものだ。(しかし、しばらく東京に住んだ後で驚くことは、神田川が意外に長いということだろう。)
 詞は吉田拓郎。

 ピンポイントの地名ではなく、道路の名称が登場する曲もいくつかある。次の三曲の詞はすべて吉田拓郎。

あいつの部屋には男がいる(1983)
→「青山通り」


次の日 青山通りを曲がった彼女のマンションへ

青山通りを曲がった所で車を降りてみた

 去年の夏に口づけをしたあの娘が暮らす425号室には別の男がいると指摘する。
 青山通りとは、最高裁判所のある三宅坂から赤坂見附、青山一丁目、外苑前、そしてあの表参道を経由して渋谷駅東口へと至る、地方出身者にとってはいかにもお洒落な東京を感じさせる通りである。

気分は未亡人(1984)
→「東名高速」


仕方が無いから車を飛ばして東名高速

 夫のあなたが帰ってこないから、わたしは未亡人の気分で東名高速を飛ばすのだという。
 東名高速道路は世田谷区の東京インターチェンジから神奈川県、静岡県を経て愛知県の小牧インターチェンジへと至る。未亡人気分の妻は用賀あたりから高速に乗るのだろうか。

時には詩人のように(1991)
→「駒沢通り」


行こう 行きましょう 駒沢通りから

「あなたはこの街にもう居ない」のだから、ここ駒沢通りから新たなスタートを切ろうじゃないか、と自分を鼓舞する。
 駒沢通りは、恵比寿駅近くの渋谷橋交差点から、駒沢オリンピック公園(1964年開催の方の会場)を抜けて二子玉川(東京の人は「にこたま」と呼ぶ)付近の多摩川へと行き着く。
 どうもこのあたりから〝拓郎の東京〟の重心は、23区の西側にシフトしているような気がする。

(次回に続く)


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