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拓郎の東京 ~地名が出てくる吉田拓郎の唄~(6)

国内編

 東京の縛りをはずしてみたらどうなるだろう。
 日本の各地を唄った拓郎の唄はないか?
 古い順にたどってみよう。

わしらのフォーク村(1971)
→「フォーク村」


そんな気持ちに なるわきゃないじゃろが
わしらのフォーク村

 拓郎はキャリアの初期に広島フォーク村を結成したが、フォーク村は「お好み村」のように特定の場所に所在していたわけではなく、サークルの名称であったようだ。したがってこの曲は除外すべきである。詞は吉田拓郎。

面影橋から(1971)
→「面影橋」「天満橋」「日影橋」「大淀」「いにしえ坂」「わらべ坂」「五番坂」

 東京に面影橋という名の橋がある。早稲田大学の近くだ。都電荒川線に面影橋という駅もある。
 だから私は最初、これは東京の唄だと思った。しかし待てよ、天満橋といえば大阪。大阪に日影橋という地名はあったろうか? 大淀、五番坂というと京都だろうか?
 調べてみたが、これらはどうやら架空の名称のようである。したがってこの曲も国内編から除外しよう。詞は「六文銭」の及川恒平。

 次からは実在する地名である。

制服(1973)
→「東京駅」「東京」「大阪」


東京駅地下道の人ごみの中
ひと群れの制服の娘たちがいる

どうですか東京って奴に会ってみて
どうですか東京って奴の御挨拶の仕方は

ぼくはこれから大阪へ行くところ

 東京駅に学生街のイメージは無い。
 ここでの「制服」は、地方から出てきて東京に就職したOL(この言葉をあまり聞かなくなった)の制服を指しているようだ。詞は岡本おさみ。
 しばらく岡本おさみを続けよう。

都万の秋(1973)
→「都万」「隠岐の島」


都万の朝は 眠ったまま

隠岐の島は 逃げるとこなし

海のきげんをとってきた 都万のおかみさんたち

 拓郎の唄を知らなければ読めなかっただろう地名。都万と書いて「つま」と読む。
 島根県の隠岐の島の地名。かつては都万村がおかれていたが、現在では町村合併により隠岐の島町になっている。

落陽(1973)
→「苫小牧」「仙台」


苫小牧発・仙台行きフェリー

 拓郎の代名詞とも言える有名な曲に地名が含まれていた。
 苫小牧発・仙台行きのフェリーは現役で、太平洋フェリー株式会社が運行している。

襟裳岬(1974)
→「襟裳」


襟裳の春は 何もない春です

 森進一が唄って日本レコード大賞を受賞したが、拓郎はイントロのトランペットを初めて聴いたときにズッコケたという。
 私も北海道の隅っこを一度おさえておきたくて訪れたことがあるが、様似から先の海には月面を思わせるような無機的な光景が広がっていた。

竜飛崎(1974)
→「津軽」「竜飛崎」「室蘭」


あゝまだ津軽は吹雪です

竜飛崎よ
どてっ腹をぶちぬかれちゃったね

海峡を越えて 鉄打つ響き渡る室蘭の夜

 かまやつひろしと一緒に歌っている。
「ごらんあれが竜飛岬」と同じ竜飛かな。石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」で有名。

いつも見ていたヒロシマ(1980)
→「ヒロシマ」


いつもいつも 遠くから遠くから 見ていたヒロシマ

 岡本おさみの詞だけれど、もちろん拓郎ありきのヒロシマだろう。

(次回に続く)


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