拓郎の東京 ~地名が出てくる吉田拓郎の唄~(8)
国際編
拓郎の曲は国内にとどまらない。海外の地名に言及する唄もあることに、調べに入った後で気づいた。
年代の古いもの順に紹介してみよう。まずはこちらから。
アジアの片隅で(1980)
→「アジア」
いきなりアジアと大きく出たが、「アジアの片隅」とは即ち日本のことであろうから、厳密には国内を脱していないと言える。詞は岡本おさみ。
同じく岡本おさみの詞で次のような曲があった。
あの娘を待ってる街角(1980)
→「ロスアンゼルス」
拓郎のハワイ好きは有名だが、自身の手による詞で次の曲がある。
KAHALA(1983)
→「ワイキキ」「カハラ」
カハラは米国ハワイ州オアフ島のダイアモンド・ヘッドの東側に位置する地区の名称だが、拓郎がここで連れて行きたいと歌っている「カハラ」は、副題の〝5000 KAHALA AVENUE HONOLULU, HAWAII〟が示すとおり、具体的には、かつてカハラ・ヒルトンと呼ばれていたザ・カハラ・ホテル&リゾートのことと思われる。
参考マップ:拓郎もおそらくこの車止めからフロントに入って行ったんだろうな。
ちなみに1998年のアルバム『Hawaiian Rhapsody』はその頭と尻を「Hawaiian Sunrise Sunset」と「Banyan Beach Bar」というタイトルのインストゥルメンタル曲で挟み込んでいるが、これらは地名や店名ではないようだ。
続いては一転、ヨーロッパへと飛ぼう。
旧友再会フォーエバーヤング(1984)
→「マッターホルン」
これも拓郎自身による詞だが、山としてのマッターホルン(標高4,478m)に思い入れがあるわけではなく、「捨てきれない男の夢」の比喩として引っ張り出されているだけと推測する。
今度はヨーロッパから異国情緒あふれる中央アジアへと移動しよう。
全編が安井かずみ(通称ずず)の詞による『サマルカンド・ブルー』という名のアルバム(1986年)がある。
サマルカンド・ブルー(1986)
→「サマルカンド」
サマルカンドはウズベキスタンの都市。
ちなみに「遙かにゆらいだ セントエルモの灯」という句が出てくるが、セントエルモの灯は物理現象の名称であり、地名ではないようだ。
続いても同じアルバムから。
七つの夜と七つの酒(1986)
→「イスファファン」
イスファファンはイランの都市。
こういうコンセプトのアルバムなのだから、そっち方面の地名が集中するのは当然だ。「正気のかけらのオン・ザ・ロックス!」
次のような句も出てくる。
君の瞳に入りたい(1986)
→「王家の谷間」
ネフェルタ(?)というのは古代エジプト王妃のことだろう。
王家の谷は、エジプトはルクソールにある古代遺跡のことだ。
時代を巻き戻すと同じく安井かずみの手によるものに、次の曲があった。
金曜日の朝(1973)
→「パリー」
パリに似ているとされる街がどこかは特定できないが、原宿表参道的な青春を感じさせる曲である。
時代は再び飛んで1995年、アルバム『Long time no see』に次の詞が出てくる。
永遠の嘘をついてくれ(1995)
→「ニューヨーク」「成田」「上海」
作詞は中島みゆき。2006年のかぐや姫とのつま恋コンサートでサプライズ登場し、拓郎と一緒にこの曲を唄った。
うっかり見落とすところであったが、次のような曲を見つけた。
マンボウ(1996)
→「太平洋」「大西洋」
詞は岡本おさみ。
さらに最近の曲に次がある。
ウィンブルドンの夢(2009)
→「ウィンブルドン」
詞は拓郎。ウィンブルドンは英国ロンドンの南西部にあるが、ここでは毎年6月に開催されるテニスの国際大会・ウィンブルドン選手権のことを指しているから、地名としてカウントすべきかどうか意見の分かれるところであろう。いつかのラジオで拓郎は、女子選手のキャロライン・ウォズニアッキ(Twitter)に注目していると話していなかったか?
以上が地名が出てくる拓郎の唄の国際編である。
これらのうち拓郎自身の手によるのは「ワイキキ」「カハラ」「マッターホルン」と「ウィンブルドン」だけ。
つまり、拓郎はあまり世界を唄ったりはしないのだ。大好きなハワイとかスポーツ観戦とかに関心があるのであって。
(次回に続く)
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