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もどかしさの中で継続しないと/フィリピン留学🇵🇭【2週目】

フィリピンのバギオで8週間語学留学に来ているのすけです。
現在フィリピンに来て2週間目を過ごしています。

実は2週間目を過ごしている際、フィリピンでは4/6(木)~4/10(月)まで「ホーリーウィーク」となっていました。

フィリピンのホーリーウィーク(聖週間)は、イエスの苦しみから救いへの旅を記念して、カトリック教徒が精神的にリフレッシュする時です。

フィリピンの人々は厳粛な儀式に参加したり、伝統的な活動に参加したりしてこの1週間を過ごします。

フィリペディア | https://www.firipedia.asia/culture/3592/

その影響で、今週は授業日数が三日間のみ。木曜と金曜も祝日になって、お休みを過ごしていました。
そんな2週目の記録です。

留学2週間目の記録

今週はとりあえず話してみる。
先週は聞き返すことに重点を置いて過ごしたおかげで、話を聞くことに少しは慣れてきた気がする。
今週はspeakingを頑張ろうと思った。

授業が始まると大体how are you?という軽い会話から、始まる。
いつもなら軽く答えていたところを、頑張って文章で伝えようとした。
だがこれが難しい。
日本人ぽくなのか、今まで文法を学んできた弊害なのか、頭の中で文法を組み立てようとしすぎる。
だからとても時間がかかる。
正しい語彙を使えているのかもわからない。

「やばい、全然話せない」と感じた。

部屋に戻ってもそれは続く。
今週から頑張って自分から話し出すことをしようとする。
それでも遅い。単語が出てこない。
ルームメイトは待って話を聞いてくれるが、もどかしい。
さらに発音によって聞き取れないことも何度かあり、speakingの難しさを痛感した。

正直しんどい。
話したいことや伝えたいことはあるのに伝えきれない。
そんなに直接的に伝えたくないのに、ちょうど良い塩梅の伝え方がわからない。
自分の喋れなさに嫌気がさした。

日本語は良い。
日本語の表現は柔らかくて、含みを存分に生かしている。
遠回しの表現にも長けている。
「どちらでも良い」という言葉でも、本当にどっちでも良いとして使える場面もあれば、どうでも良いと使える場面もある。
それは表現の仕方によっても、暗に伝えることができる。
微妙な声のトーンや場の雰囲気も含めて、「どちらでも良い」は成り立たせることができる。

その英語での表現の仕方がわからない。
でも、それは英語を話すことで勝手に身につくことを期待して、とりあえず話すことを徹底しようと心がけている。
もちろん気分が乗らない朝もある。
授業も疲れている時はたくさんある。
だからできるだけ、話す。
日本語では他の人に聞こえていなくても良い独り言があるが、思った時に英語にして声に出してみることを意識した。
すると、会話が生まれる。
今日は人が多いと言ったら、いつもここは多いよと会話になったりするし、
これめっちゃ甘いって言ったら、俺もそれは無理だって返ってくる。

こんな風に普段だったら別に人に話さなくても良いやってことも、英語にして口に出すことで次に繋がったりする。
会話での返答の仕方とか、相槌とか返事の仕方とか、細かいところでのニュアンスの幅をもっと広げたら、微妙なニュアンスで使い分けられるかもしれない。
だから、続けるしかない。
まだまだ言葉にすることに時間がかかるし、もどかしいけど、とりあえず喋ってみる。
Atsueigoでも同じことを言っていたので、継続していきたい。

"見られている"感覚の違い

前、食事については別途書きたいって言ったけど、
それについて少し感じたことを書いていきたい。

今俺がいる学校では、韓国人の割合が多く、次いで日本人、中国人、台湾人、ベトナム人などに続く。
もちろん学校はみんな同じなので、廊下で行き交うし食堂での食事もみな同じだ。

食事の取り方について気になる。
箸やスプーン、フォークの使い方だったり、
食事をしている時の音、
物が入っている時に口を閉じる、
なるべく周りを汚さないようにとか。

国籍がどうとかいう問題ではないかもしれない。
個人的には批判したいわけではない。
ただ、気になる。

思ったのは、日本人はとてつもなく綺麗に食事をしているように感じるのである。
ものが落ちて机が汚れないように器は持って口に運ぶ。
くちゃくちゃと音を立てながら咀嚼することもあまりない。
跳ねて飛ばないように配慮をする。
日本人にとって当たり前かもしれないが、実はそれらにとても気を使っている。

その気を使う感覚がどこからきているのか考える。
なんとなく、外からの自分の見られ方な気がする。
周りから自分の食べ方を見られて不快感を与えないようにしたり、
一緒に食事をしている人が嫌な思いをしないようにしたり、
周りへの危害を及ぼさないように頑張っている。
むしろそうやって気を使える方が、立場的にも褒められたりする。
周りから評価をされる。

フィリピンに来る前に前職でお世話になった方が言っていたことが思い出された。
「日本人は世間体で生きている」
その言葉に集約される気がする。

元々、中国やモンゴル、アメリカ、ヨーロッパいろいろな国や地域の文化を真似したりして、独自の文化を確立させてきた日本。
いろんな物事を柔軟に捉えられる一方で、自分たちのオリジナルの文化というものが少ない。
侍などの、"武士道"は日本流かもしれない。
武士道は、生き様だ。
周りのみんなが、これが武士の生き方だって思っている考え方にみんな寄り添う。
だから、自分がこういう道を切り開いていきたい、こう生きたいではなく、周りの日本人のみんなが良いと思っている方向に向かって生きるのが正解である。

わからないが、日本人の根源にあるのは、
周りのみんなが思っていることと同じように、自分も生きている!ように見せられるかが大事なのかもしれない。

食事の話に戻るが、日本人は周りからの見られ方を意識して生きている民族だから、公共の場だったり周りに誰かがいる時には、周りからどう見られているかが大事なのかもしれない。
それと同時に、食事の取り方に違いがあっても、それは種としての違いであったり、文化民族的にそもそも違う感覚があるのかもしれない。

周りの異国の友達とかはどういう感覚なのだろうか。
自分が食べたいように食べればよいのか、
みんな各々が楽しくいたらそれでよいのか、
そういう感覚的な表現が難しいところも聴けるようになりたいし、喋れるようになりたい。

留学は英語を学びにきているのにも関わらず、自国や世界の教養についての知識を広げようとするきっかけになる。
日本人であるから、日本が好きだし日本に住んでいるのだが、
日本人についても知らないことが多かったりする。
文化・慣習・音楽・映画・建物などについて会話をする授業があったのだが、改めて日本のことを聞かれるとわかんないことがたくさんあったりする。
英語だけではなく、教養も学ぶことができる留学は、改めて良い時間だと思うし、この経験をしてよかったなと思っている。

先週今週と、休日に外出したこともかければ良いなと思っているので、それはまた今度書いていきたい。


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