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彼氏の看病でお粥5合炊いてた私も、10年経てば七草粥を作れるようになった話

今朝は七草粥を作った。
昨年まで七草粥を作ろうとしたことはなかったのだが、三十路に突入した瞬間健康とか季節の伝統行事とかを気にしだしたのだ。

前日からSTAUB鍋のシーズニングをして、最高のお粥作りに備えた。
翌朝7時半、体内時計が私を起こしてくれる。
顔を洗い白湯を一口飲んだら、さぁお楽しみの七草炊飯。

下準備万端のSTAUB鍋でくつくつと米を炊き始める。40分ほど、くつくつくつ…
その間に七草を軽く湯掻いて細かく刻んでいく。
七草は儚い葉や根に確かな生命力を感じて無性に愛らしい。
その生命力、あやからせていただきます。

あとは炊き上がったお粥と七草を混ぜるだけ、材料も工程も素朴な一品だ。
ご褒美みたいに焼いた餅も添えちゃおう。
思ったよりあっという間にできあがり。

鮮やかな緑の七草に無病息災を願って、いただきます。
うん、優しい味わいでするすると胃に入っていくじゃないか。
無心で口に運んでいく。一口ずつ七草の青い香りや餅の甘さを味わいながら。

料理もあっという間だったが、食べ終わるのはもっと一瞬だった。
昼前から出勤のため時間との勝負だったが、余裕の勝利だ。
一人暮らしを始めて早4年、日々の自炊生活はいつの間にか私を少しはまともに料理ができる人間にしてくれたようだ。

さてと、食べ終わった食器を洗いながら、ふと10年前の冬を思い出す…


人生で初めて彼氏ができたのは20歳の頃、大学の同級生だった。
付き合って日も浅い大寒の時季、彼が風邪をこじらせ寝込んでしまった。
当時我ながら健気なくらい献身的だった私は俄然看病に気合いが入り、勇み足で彼が一人暮らすマンションへと向かった。

「アイスが食べたい、あとお粥も。」
弱った彼に問うた、何が食べたいのだという問いに対する返事がこれだった。
すぐさま近所のコンビニでジャイアントコーンなどのアイスをいくつか買ってきた。
"あとはお粥、お粥を作るのだ!"

しかし当時実家暮らしだった私は、包丁を持つことなど年に数えるほどもないような料理と無縁の女だった。
"まぁお粥なんて、とりあえず米と水を鍋に入れときゃ出来るだろう"
今思うと何故そんなにやたらポジティブだったのか訳が分からないが、意気揚々と台所で腕まくりをした。

台所に立つやいなや、さっそく壁にぶちあたった。
—お米と水はどのくらい入れたらいいのだ?

私は炊飯器ではない。米と水の適正量なんて知る由もなかった。
後日このエピソードを友達に話したところ、「炊飯器のお粥モード使えばよかったやん」とベスト回答をいただいたが、炊飯器すら馴染みのなかった私には、当時そんな賢い方法は思いつかなかったのだ。
そして果たしてネットで「お粥 レシピ」と検索したのかどうかは、もう10年も前の話なので覚えていない。

とりあえずその辺にあった計量カップを手に取り、1番上の目盛りまで米を入れた。
"なんかこれじゃ少ないな…"
病人のくせにあっさりとアイスを平らげた彼を背に、もう一杯分米を入れた。
ふーん米ってこんなにボリューム少ないんだな。更にもう一杯。
まだ足りない気がする、もう一杯。
あともう一息欲しいかな、もう一杯。
合わせて計量カップ5杯分、鍋に米を入れた。
水も多分同量くらい流し込んだだろう。
ようやく鍋に火を点け一息ついた。

火にかけてから数十分経ったか、どれ調子はいかがかと鍋を覗いた。
すると、米がてんで予想だにしなかった変化を遂げていた。


鍋いっぱいに米が膨れ上がっていたのだ。


一瞬頭が真っ白になった。
一人暮らしにしてはそこそこ大きなファミリーサイズの鍋の中で、米がひしめいていた。
何故あんなにカサの少なかった米がこんなに膨らんでいるのだ??
せいぜい一粒5mm程度の米粒が、一体全体どうしたらこんな増量を成し遂げるのか??
疑問は尽きなかったが、いくら食べ盛りの二十歳男性でも、力士でない限りこれは無茶な量だと一瞬で悟った。

ごめん、なんかお粥ちょっと作りすぎたかもしれんわ…
と開口一番に彼に詫びた。
鍋を覗いた彼の表情には、笑いの中に隠しきれない驚きが見えた。当然だ。

ここで、これ程大量のお粥ができてしまった原因の追求に移る。

ちゃんと計量したか?
—いや、計量カップは使ったが計量はしなかった。

計量カップに目盛りはなかったか?
—目盛りに合わせて入れたが、単位はよく見ていなかった。
見ると、私が目安にした目盛りの横には「1」の数字が表記されていた。

つまるところ、私は1杯1合の計量カップで5杯の米を鍋に入れ、合わせて5合のお粥を炊いていたのだ。
5合って、4人家族の我が家でも見た事ない気がするのだが…
ひょっとして私はとんでもない量のお粥を仕込んでしまったのではないか?

——

そこからは魅惑のアイスタイムはおしまいにして、大量のお粥を平らげるべく、2人奮闘した。皿にお粥を盛っては少し食べ、を何度か繰り返しただろう。
しかし健闘も虚しく、鍋いっぱいのお粥を半分程やっつけたところで限界を感じ、心の中で米に謝りながらお粥をゴミ袋に流した。
(翌日まで冷蔵庫で保管する発想に至れなかった己の愚行が、今となっては悔やまれる)

この一件から、"お粥は炊飯器を使うと確実計量・らくらく炊飯が叶う"という知見を得た私は、その2年後に留学先で自炊をせざるを得ない環境に身を置くまで、無事一度も料理をすることはなかった。


質素ながら毎日自炊をしている今の私からしたら、当時の私はとても信じられない。
ど素人のくせに計量を怠ったことも、料理はこんなに楽しいのにおざなりにしてきたことも。
当時の私も、10年後には数万円もする鍋を買ってご丁寧に朝っぱらから七草粥を作っているとは考えてもいなかっただろう。
全く、時の流れというものは偉大なものだ。

20歳の頃の私、お粥のひとつも作れずヘコむことはないぞ。
歳を重ねたら、ちゃんと実家から自立したくなって料理にも自分なりに一生懸命取り組むようになるから。

だから30歳の今の私、彼氏のひとつも作れずヘコむことはないはずだぞ。
来年か再来年かその先か、ひょんな出会いがあっていつしか2人仲良く七草粥を食べているかもしれないから。
だから今の私、そのためには出会いを求めて動き出そうな、がんばろう。

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