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もしも高校倫理の先生がエピクテトスだったら。『人生談義』

エピクテトス「こんにちは。私はエピクテトス。今日は古代ローマから君たちに倫理の授業をするためにやってきたんだ。テキストは私の弟子であるアリアノスが書き残したものを使うとしよう。よろしくね。」

生徒一同「よろしくお願いします。」

力の及ぶものと及ばないもの

エピクテトス「倫理の、つまり善悪の話をするなら自分の力が及ぶものと及ばないものを明確に区別するところから始めよう。自分の力が及ぶものとは判断、衝動、欲望といった自分の内にあるものが当てはまる。逆に肉体、財産、評判といった自分の外にあるものが自分の力が及ばないものだ。

生徒A「肉体は自分で動かすことができるのに自分の力が及ばないんですか?」

エピクテトス「君は腹の虫やあくびをコントロールできないだろう?そういうことさ。そして善悪に関わるのは自分の力が及ぶもの、すなわち自分の内にあるものだけだ。自分の外にあるものは善悪には関係ない。」

生徒A「さっき財産は自分の外にあるものに入ってましたけど、例えば泥棒はお金が欲しいから盗みを働きますよね。つまり、お金のために悪いことする人もいるわけです。なのにお金は善悪に関係無いんですか?」

エピクテトス「泥棒に盗みを働かせるのはどんな手段を使ってもお金が欲しいという気持ちだ。お金自体じゃない。お金を見たすべての人が泥棒になるわけじゃないだろう?」

生徒A「なるほど、物じゃなくて気持ちが行動を決めるってことですね。」

エピクテトス「その通り。他人や物と自分の気持ちは本来無関係なんだ。その意味で気持ちは自由だと言える。反対に、外的な物は自由にならない。お金が欲しいと願ってもお金は手に入らないからね。大抵の悪行はこの関係を逆に捉えてしまうことから発生するのさ。」

生徒A「逆に捉える?」

エピクテトス「悪行を成す人は自分の外にある自由にならないものを自由に操ろうとする。そして本来コントロール可能な自分の気持ちが暴走してしまうんだ。逆に善行を成す人は自分の気持ちをコントロールすることに注力して外的な物にはこだわらない。この関係は重要だからしっかり覚えておいてね。」

自分の気持ちを吟味する訓練

エピクテトス「さて、さっき私は自分の気持ちをコントロールすることの重要性を説いた。そのあたりをもう少し掘り下げていこうか。ところでBさんはダイエットしたことある?」

生徒B「あります。というか絶賛ダイエット中です。」

エピクテトス「よろしい。ではダイエット中のBさんを例に説明しよう。もし目の前にステーキが登場したらダイエット中でも食べたいと思うよね?」

生徒B「もちろんです。」

エピクテトス「この段階では善も悪も無い。問題はここからだ。ダイエット中なんだから高カロリーな食べ物は当然避けるべきだよね。だからBさんはステーキを見て生じた食べたいという気持ちを抑えて、食べないという行動を選択しないといけない。そうだよね?」

生徒B「そうですね。」

エピクテトス「つまり、Bさんがダイエットを成功させるには外的な物から受ける刺激によって生じた気持ちを吟味して適切な行動を取らなければいけないんだ。大事なのは気持ちを吟味するというプロセスなんだ。だけどこのプロセスが抜けちゃうことが多い。なぜだか分かるかい?」

生徒B「うーん…やっぱり人間は本能に勝てないからでしょうか。」

エピクテトス「人間は本能に勝てるよ。なぜなら理性があるからね。理性を活用せず本能にのみ従って生きるならその人は犬や猫と同じさ。気持ちを吟味するプロセスが抜けがちなのは訓練していないからだ。

生徒B「訓練ですか?」

エピクテトス「そう、気持ちを吟味する訓練だ。人は外的な刺激によっていろいろな気持ちや欲求を抱き行動する。ここで行動に移る前に生じた気持ちや欲求がどういった種類のもので、それに従うのが正しいかどうかを吟味するクセをつけて欲しいんだ。」

生徒B「目の前のステーキに飛びつかない訓練ってことですね。忍耐力が試されますね。」

エピクテトス「そうだね。言葉で言うほど簡単ではないよ。でも倫理に関するあらゆる議論は実践してこそ意味がある。とにかくやってみて欲しい。気持ちを吟味する訓練を積んで習慣化すると外的なものに振り回されない真の自由が手に入るはずだよ。」

人間の本分

エピクテトス「さてCさんに質問だ。君がもし馬だったとして、目の前にいる別の馬より自分が優れていることを証明するにはどうするかな?」

生徒C「やっぱり競争ですね。自分の方が足が速いことを見せつけます。」

エピクテトス「よろしい。では君がもし人間だったとして、目の前にいる別の人間より自分が優れていることを証明するにはどうするかな?」

生徒C「えーっと…分かりません。」

エピクテトス「自分の優位性を示すために競うべき項目が分かる理由はその存在の本分を理解しているからだ。現状Cさんは馬の本分は走ることだと理解しているが、人間の本分は理解していない。」

生徒C「人間の本分ですか。人間の特徴は高度に発達した脳だから、やっぱりここは学力を競うべきなんでしょうか?」

エピクテトス「勉強はできるけど性格最悪なヤツがいたとして、私はそんなヤツを人間的に優れているとは思わない。先ほど私は皆にどんなことを習慣にして欲しいと言ったかな?」

生徒C「気持ちを吟味することです。目の前のステーキに飛びつかない。」

エピクテトス「そうだ。人間の本分は気持ちを吟味する能力にある。腕力や学力や預金残高には無い。外的な刺激によって生じた気持ちを吟味して、より善い行動を選択する能力を人間は競うべきなんだ。なのに私たちは腕力や学力や預金残高ばかり競っている。」

生徒C「そうか。腕力や預金残高は外的な物だから本来自由にならない。学力だって結局は計り方の問題だからこれも自由にならない。自由になるのは気持ちを吟味する能力だけ。だからそこを鍛えるってことですね。」

エピクテトス「その通り。よく授業を聞いてくれていたね。さて、今日はここまでにしよう。ありがとうございました。」

生徒一同「ありがとうございました。」

参考文献
エピクテトス『人生談義』(上) 國方栄二訳 2020年 岩波書店
エピクテトス『人生談義』(下) 國方栄二訳 2021年 岩波書店


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