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モブキャラにも五分の魂

えぇと、ちょっとnoteの仕組み?をよくわかっていないのですが、自分のクリエイターページのヘッダーに、画像を入れることができますよね?

なんとなく習慣というか、Wordpressばかり扱ってきたクセで、自分のページのタイトルを入れたい衝動に駆られつつ、入れる場所がないことに気が付いた(気づいてないだけだったらすまん)。

なので、ヘッダーにCanvaで作った画像を入れています。

「モブキャラにも五分の魂」

これがイカリカバ(あてくし)のページのタイトルです。

その趣旨を以下にご説明します。


◇タイトルの意味

人は、何かしら使命を持って生れて来た

なんて、よく聞くフレーズですよね?

それぞれ役割があって、果たす使命があるのだ…、なんて系統のお話です。

そして、すべてのことに意味がある…とも。

いやぁ、めんどくせぇ┐( ̄ヘ ̄)┌

そんなこといちいち考えてたら、生きて行かれませんわ。

そら、自分だって、若い頃は、自分にはどんな役割があるのか、何かを成し遂げなければ、なんて思ったことも無きにしもあらず。

でもね、50も過ぎるとそんなこたぁどーだっていい。

生きてるから死なない。ただそれだけ。

人生なんて、暇つぶしよ(あ、これは若い頃から思ってたことだけど)。

行きてりゃいつかは死ぬんだから、死ぬまでの暇つぶしをどう楽しく過ごすか。これに尽きるんじゃないでしょうか。

とはいえ、使命を果たそうと頑張っている人をけなすつもりもないし、立派だと思う。なんだったら尊敬だってしちゃうよ。

そういう人たちのおかげで、世の中成り立ってるし回ってるんだと思う。

でも、生きとし生けるものすべてに果たすべき使命があり、役割があるなんて、そんなわけないじゃん(笑)

そうだったとしても、それを強要されるのはまっぴらごめんこうむりたい所存。

ただ生きてるだけっていう属性がいてもおかしくないでしょ?

ゲームや漫画で例えると、主人公がいて、主人公を支える脇役がいて、ちゃんとした役割を与えられたNPCがいる…というのがセオリー。これって現実世界でもほぼ同じようなもんですよね?

でも、モブキャラにはとくに役割なんてなくて、ただ歩いてるだけだったり、その他大勢の賑やかしでしかない。

でもさ、そんなモブキャラも生きてるから。役割も果たすべき使命がなくても生きてるんだよねぇ。

そして、いろいろなことを経験し、日々なにかを考え過ごしているわけですよ。

だから、モブキャラが世界を救うとか、世界を変えるとか、そんな大それたことは考えたりしませんが、時には意見したいこともあるし、誰かに何かを話したいときもある。

で、モブキャラを自負するイカリカバ(あてくし)にもってこいの、「一寸の虫にも五分の魂」をもじって、「モブキャラにも五分の魂」というタイトルを付けたわけです。

すげぇ、しっくりくる(笑)

◇オカルトチックな話だけど…

ちなみに、「この世界は仮想現実だ」…という説があるようですね。

オカルト系のまとめ動画などで聞きかじった程度なので詳しくはわからないけど、そのワンフレーズを聞いた時に、近い内容の映画(例の3部作よりずっと昔)に触発され、短編小説を書いたことを思い出した。

何かのコンテストに応募し、佳作に入ったので、貰った賞状を(誇らしげに)額に飾っていた時期があったな。

もう内容は忘れちゃったし、原稿のデータも残ってないけど、今でいうところの「仮想現実」をテーマにしたお話だった。

そういやぁ、昔読んだ、鈴木光司の「リング」シリーズの完結編にあたる「ループ」ってのも、仮想現実を扱った話だったな。

昔から、そういう考え方はあったのかもしれないね。

自分の理解しているところでざっくりいうと、この世界の事象は、誰かが操作しているとか、裏設定やチートとかもあって、シミュレーションしているとか…。

例えば、「The Sims」という人生シミュレーションゲームがあるんですが(今ドハマり中)、プレイヤー(自分)が、ゲーム中のキャラ(シムという)を操作し、学校へ行かせたり、勉強させたり、ご飯を作らせたり、ムフフをさせたりします。

一方で、シムたちはプレイヤーが操作しなくても、特質や習慣、設定などに則って、自律した行動をとってくれます(フリーウィルという)。

子ども好きの特質があれば、かいがいしく子育てをしてくれたり、お腹がすいたら料理を作るし、汚れてきたら勝手にお風呂にも入ってくれます。

ただ見てるだけでも面白いんですが、シムになにか指示を与えて行動させていると、ゲームの中のシムと我々人間は、同じようなもんだよなぁと思わずにはいられません。

ゲームの中のシムたちからしたら、見えないところ(ゲームの外)から、誰かに操作されている…と感じていたりして?

それが、一部の人たちがいう「この世界は仮想現実だ」と、同じようなもんではないかと。

だから、あまりにも理解できない理不尽なことが世界中に蔓延していても、そういう設定でシミュレーションしている…と、考える事もできるわけだ。

あとは誰か(地球のプレイヤー?)の悪ふざけ…ってこともあるかもね。
「シムシティ」(スーパーファミコンのゲーム)で、街が成長しきったらやることなくなってゴジラ出しちゃう…みたいな感覚?

話を広げ過ぎた(笑)

まぁ、これについてはそのうち理解が深まったら言及するかもしれないけど、この世界が仮想現実だとしたら、自分がなんの役割ももたないモブキャラだということも、やはり納得できるわけで、付けたタイトルは、ますますぴったりと思う次第なのであります。

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