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故郷に捧げる私小説

日曜日。正午近くまで惰眠を貪った後、諦めて疲れが取れない重だるい体を起こす。月〜土まで学校やら塾やらで酷使した体が寝だめで回復するほど人生楽ではない。前もって何か日曜日の計画を立てているわけではないが、とりあえず惰性で身支度を整える。計画の中身は決まっていなくとも、さいたま市民の子どもが遊びに行く先なんてあそこ一択だ。

大宮だ。

家から大宮駅前までの道のりは通学路ぐらい体に馴染んでいるものだ。電車では無く自転車で向かうのは、氷川神社の参道を自転車で疾走するのはいつだって心地よいからだ。自転車ならば駐輪場に2・3時間くらいは無料で停められるからコスパもいい。

とりあえず図書館に駐輪して、館内をふらつきながら何をするか考える。何か面白そうな本でも見つけて館内で読むか、ブッ○オフで漫画の立ち読みでもするか、映画館に行ってその場のノリでチケットを買うか、ド○ールでコーヒーでも飲みながら読書するか。結局は財布との相談でやる内容が決まってくるわけだが。

駐輪場の無料時間は2・3時間だから2・3時間が経つたびに自転車を別の駐輪場に移す。財布が空っぽになり、日が暮れたら帰宅の合図だ。大宮の居酒屋は日が暮れる前、制服を着た中高生がまだ街路を歩いている時間帯でもガンガン客引きをやる。何かしらの法に抵触しているのでは?とか思いながら駐輪場から自転車を出す。

帰って夕飯食って風呂入って寝たらまた月曜日がこんにちは。変わり映えしない勉強漬けの一週間が始まる。


そんな学生生活を何年繰り返しただろうか。

この生活が終わるなんて考えもしなかった。つい最近までは。


昔から家にいるのが辛かった。両親がいつも夫婦喧嘩をしていたから。それでも子どもに一方的な愛情を注ぐ親が恨めしかった。身勝手な愛情ほどウザいものはない。嫌で嫌で仕方なくて、あの手この手で家から逃げた。特に、塾に通ったり、学校に遅くまで残ったりした。そうすれば、周囲から「勉強熱心な子」として評価され、世間体が良いから。だけど実際はそんなんじゃなくて、ただ現実逃避がしたいだけだから「他人が求める自分」と「自分がなりたい自分」が乖離していった。中学生時代は「頭が良い」ってだけで確かに人間関係がうまくいっていたが、やはり男子中学生の馬鹿話に自分も混ざりたかった。高校生時代は、進学校に進学したせいで周りが皆真面目だったから、キャラを失い、人間関係をうまく築けなかった。なんか家にも学校にも居場所がないと感じ、猛烈に地方の大学に進学して、一人暮らしがしたくなった。ただひたすら3年間勉強して、ついに地方大学への進学が叶った。

合格発表の日は当然大喜びして夢見心地だった。
嗚呼、やっと古沼のような「家」から抜け出せるのか、もう学校の奴らとも二度と顔を合わせなくて良いのかと思うと、常に何かに追われているかのような、生き急ぐ感覚もなくなり、幾分心にゆとりができた。


しかし、いざ引っ越しを目の前にすると、どうしようもなく故郷・大宮が愛おしくなった。

合格発表後はちょうど貯まっていた金を使って大宮で連日連夜遊んだ。18歳になって見る大宮の姿はガキの頃とはちょっと違かった。

深夜の大宮では、煙草の吸い殻が山ほど道端にポイ捨てされていて、酔っ払ったサラリーマンが公然と立ちションをし、漫画喫茶は始発待ちの人でごった返していた。

治安悪くて薄汚い街、それが大宮だが、その性質が深夜になって如実に現れていた。この性質こそが大宮の居心地が良い所以だと思う。多少の無礼講は許される、飾らなくていい街。気軽に行けるし他人にはばかる必要もないのだ。

こんなに居心地のいい故郷を離れるのは胸が張り裂けるほど辛い。親や親友と離れ離れになることよりも街と離れ離れになることの方を淋しく思っているのは自分でも滑稽だ。

嗚呼、やっぱり私はこの街で生まれ育ったんだなぁ。18年間この街で生きてきたんだなぁ。たっくさん遊んできたつもりだけど、全然遊び足りないなぁ。

大宮駅西口を出て夜行バスの停留所に行くまでの間、大宮の夜景はいつもよりも輝いて見えた。それはまるで、自分が選んだ道を照らしてくれているようだった。

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