経験の中で根付いた価値観を考える
衝撃的な初めまして
とある対象者さんの初回介入は私にとって衝撃的だった。
「田舎の風土に馴染めなくてね。元々〇〇に住んでたけど、こっちに嫁いできたの。言い方があれかもしれないけど私の趣味高尚じゃない?だからどうも〇〇(地元特有の産業)の人たちとは話も趣味も合わなくて。こっちきてから友達も3人ぐらいいたんだけど皆亡くなってしまって…。今更友達を作ろうとは思わないし。」
Aさんのこの言葉を受けて、好きな地元をなんとなく否定されたような気持ちになってしまったのと同時に、趣味や仕事に対して知性や品格の高低を表すような言葉には衝撃を受けた。
私個人の価値観は排除して、対象者中心に物事を考えられたら素晴らしいがそうもいかない。人間だもの。
翌日、私は1人の人間として若干憂鬱な気持ちもありつつ、作業療法士としては限られた入院期間でやらねばならぬことは確実にやっていこう、この対象者さんと向き合っていこうという意気込みも何とか持ち合わせて、部屋へ向かった。
大変なのは私たち医療者か
Aさんの入浴動作や整容動作は私の思う〝当たり前〟とは随分異なっており、こだわりが強いという印象を受けた。
そんなAさんに在宅酸素療法が導入される。
「お風呂の時はもちろん外すよね?お客さん前ではこんなのつけられないわ!田舎だからすぐ噂されちゃうじゃない!」
「80代よ?こんな機械の操作なんて覚えられないわ。あなたのおばあちゃん生きてる?考えてみて。しっかりしててもこんなの無理よ。」
聞いた瞬間は心の中で「えーっと、、、」となってしまった。さぁこれはどう酸素の必要性を伝え、ADL指導していくのか。そもそも入院の目的は理解されているのか…?入院は極短期間だし大丈夫かな…。
これは勝手に大変がっている私の話だ。
対象者のレンズで捉える
一旦落ち着いて、対象者のレンズを通して物事を捉えてみる。
日常に新しい機械が加わる。ちょっとトイレへ行くのもカニューレ(管)と一緒だし、外出時は酸素ボンベを持ち運ぶ必要がある。知らない機械の操作に加えて、楽に行える動作方法を身につける…。
どんな対象者であっても生活が変わる一大イベントであり、この変化を受け入れていくことは容易ではないことが想像つく。
知らないことだらけで、覚えるのも慣れるのも大変だろう。
都会へ通い、芸術系の講師として何十年も活躍されたAさん。倦怠感により2ヶ月ほど前から生きがいと語っていた講師はできなくなった。近所へ買い物へ行くことも億劫になり、自宅中心の生活となった。
Aさんは嫁いだ田舎での生活に馴染みにくさを感じながらも、都会で講師という立場で人前に立つことで、自分らしく何十年も生活されてきた。今はそれが難しくなっている状況だ。
そんな文脈を把握していれば、前項で挙げた「お客さんの前ではつけられない」「噂されちゃう」「操作なんて覚えられない」という言葉も、Aさんの日常が変えられてしまうことへの不安だと捉えられ、すっと自分の中に入ってきた。
案外対象者の視点で考えてみることで医療者の〝自分が大変〟意識は薄れ、少し楽になるかもしれない。作業療法士としてAさんらしさが失われないようなサポートはできないかと考えられるようになった。
経験の中で根付いた価値観を考える
恐らく80代のAさんにとっては生まれ育った都会よりも、嫁いできた田舎での生活の方が長いだろう。
それでもAさんにとってかけがえのないものは、田舎で過ごした時間より、生まれ育った都会での経験や、都会で何十年も講師として活躍された経験だと思われる。
そんな経験が、流行のファッションや化粧を楽しみ、責任感持って講師として活動され、こだわりを持って生活を送るAさんの価値観を創っている。
作業療法士として、Aさんの今までの生活をできるだけ崩さず、部分的な動作指導をし、酸素化評価を行なった。主治医に評価結果や本人の思いも踏まえて相談したところ、安静時は酸素不要という結論に至った。
「お客さんのお話をじっと聞いている時は外してもいいのね。」
嬉しそうだった。
「こんなにマイペースな私に付き合ってくれてありがとね。他の方も元気にしてあげてね。」
この言葉に私は救われて、あっまだ生きていけるなと思った。
励みになります、頑張ります。
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