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動機はなんだって良い

これまで自分の人生を決めるような大切な選択には絶対的な動機が必要だと思っていたが、今はそうとは思わない。

絶対的な動機が必要

今だからこそ語ることへの抵抗は少なくなったのだが、私は大学受験で第一志望校に落ちた。学力足りなかったとしか言えないのだが、一つだけスッキリしていなかったことがある。

受験時に第1希望・第2希望を選択できる問題である。

私が受けた大学は、例えば作業療法を第1希望に、理学療法を第2希望にして受験することができた。

そして偶然、第1希望の他科には落ちたが、第2希望の作業療法科には受かったという人が近くにいた。その人を否定するつもりは全くないのだが、私は嫉妬した。

偏差値が(選択肢の中では)最も低いからとりあえず第2希望にしておけば運よく受かるかも、という「保険をかけててよかった〜」みたいな理由で受かり、作業療法を学べるの状況が謎でしかなかった。実際に作業療法の勉強が続かなかった人がいることも知っていたからこそ余計に謎、謎、謎だった。

将来の職業が決まる重要な選択なのに、どうして入学試験は受験者の思い等一切関係なしの一発学力勝負なのか、ずっと疑問に思っていた。

そんなこんなで将来の夢とか自分のなりたい姿を目指すには、絶対的な理由が必要だと思っていた。

同期との出会い

大学の同期が私の中の価値観を変えてくれた。

彼女は大学入学直後の自分について「(OTは)手芸や陶芸を通してできないことをできるようにするイメージしかなかったから、OTは想像以上に深いし、正直舐めていた」と話した。

推薦によって学級委員を任され、スポーツ一筋で全国大会を経験し、自分にとって自由とは「友達と美味しいご飯を食べること、課題やっている時以外は人と一緒にいたい」と話す。誰とも親しみを持って接することができ、誰からも愛されるような彼女は、根っから私とは対照的だった。

人を助ける仕事がしたいという漠然とした思いがあったことも影響し、他者からの勧めによって彼女は作業療法士になる道を選んだ。

他者からの提案によって選んだ道でも、最初は作業療法に対する強い拘りがなくても、彼女は入学直後から目の前のことに対してとにかく一生懸命だった。物理や生理学に関して分からないことを私にいつも質問してくれたし、一緒に勉強会を開くことも多かった。

大学2年生の時に授業において理想のOT像について聞くと、これまでの学びや見学実習を通して「諦めていることとか楽しかったことをもう1回できるようにサポートしたいし、生きがいを持って生活できるようサポートできるOTになりたい」とキラキラした表情で語った。

そんな彼女とは今、再び同じ環境で共に学んでいる。互いの臨床に関する情報を交換できる〝友達〟とは言い表せない、頼りにしている大切な同期である。

動機はなんだって良い

始まりは自分のなりたい姿なんてよく分からなくても、目の前のことを大切に丁寧に取り組んでいるうちに明確になっていく。

始めることに絶対的な理由はいらないし、行動を起こした先に意味を見出したり、よく分かっていなかったことが自分にとって誇りに思えるものに変化したりする。そんなことを気づかせれくれた同期に心から感謝したい。








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