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書評:『定本 想像の共同体』B.アンダーソン

①紹介

アメリカの政治学者ベネディクト・アンダーソンによる『定本 想像の共同体-ナショナリズムの起源と流行』(白石隆、白石さや訳、書籍工房早川、2007年)を紹介します。なぜ人は国家に属するのか?国民を国民たらしめるものは一体何か?それらのヒントは私たちが普段何気なく頭の中で行なっているアレにありました。

②考察

・「国民は〔イメージとして心の中に〕想像されたものである」
→心に思い描いたものが不特定多数の人間をまとめるのに使われ、大きな力を発揮することはにわかに信じがたいが、本当らしい。「国民」が想像の産物に過ぎないという事実にも驚かされる。実体がない不可算名詞的なものはすべてイメージなのだろう。時に人間が自分を一番正しいと思い込んで、他を顧みなくなるのは正直無理もない。

・「公定ナショナリズムは、共同体が国民的に想像されるようになるにしたがって、その周辺においやられるか、そこから排除されるかの脅威に直面した支配集団が、予防措置として採用する戦略なのだ」
→この文言を見た時、すぐに「右翼」や「保守」が思い浮かんだが、公定ナショナリズムは人間を本能的に闘争や抵抗へ駆り立てるものであって、冷静に考えてみれば、右も左も関係ないと気づく。ウクライナやイスラエル、台湾の問題もこれで説明がつくかもしれない。

・「ナショナリズムが他者への恐怖と憎悪に根ざしており、人種主義とあい通ずるものである、と主張するのが(略)一般的となっている今日のような時代にあっては、我々はまず、国民は愛を、それもしばしば心からの自己犠牲的な愛をよび起こすということを思い起こしておく必要がある」
→典型例は先の対戦における日本軍の特攻だろう。現代の感覚からすれば、「鬼畜米兵」や「お国のために」はただの洗脳である。ところで、イスラム過激派の戦闘員がアッラーの祝福に与るために行う自爆テロはこれと似たようなものだろうか。

③総合

昨今の日本や世界で見られる排外主義。それに関わる者はすべて一つの目的のために動くが、「自分は◯◯人だ」と想像することで、共同体への帰属意識と、異物への敵対感情を高めているのだと思う。そういう意味では「身分」「学校」「戦争」「平和」もまた多くの人間をまとめ上げるために作られたイメージだと言えるかもしれない。出版語(俗語)から生まれたナショナリズムは今や、私たちが取り扱うのに苦労する代物だろう。

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