見出し画像

書評:『遠野物語・山の人生』柳田国男

①紹介

日本民俗学の草分け・柳田国男による『遠野物語・山の人生』(岩波文庫、2007年)を紹介します。岩手県遠野に住む佐々木喜善が伝えた説話と、柳田がその地での見聞を元にまとめたフィールドワーク論は私たち日本人に一つの問いを投げかけているようです。

②考察

● 「その夜娘は(略)死したる馬の首に縋りて(略)その首に乗りたるまま天に昇り去れり。オシラサマというはこの時より成りたる神なり」
➢ 遠野に伝わる説話の一つ。本来のオシラサマは、桑の枝で作られた馬や男女を象った偶像であり、娘と馬が夫婦になったというのは、異種婚姻譚の原型か。余談だが、『千と千尋の神隠し』に登場する大根モチーフの同名の神はどう見てもデフォルメだろう。

● 「羽後の田代岳に駆け込んだという北秋田の村の娘は、その前から口癖のように、山の神様の処へお嫁入りするのだと、いっていたそうである」
➢ これもまた異種婚姻譚の一つであり、また、出家とは異なる動機・スタイルの世捨てと捉えるべきだろう。出家と共通なのはこれが信仰によるもので、親兄弟が泣いて止めに入るも、本人が年端もいかぬまま臨むところか。

● 「神隠しの少年の後日譚、彼らの宗教的行動が、近世の神道説に若干の影響を与えたのは怪しむに足らぬ」
➢ 柳田によれば、神隠しは「霊界との交通方法」であり、異常で予期しにくいにもかかわらず、頻繁に起きるという。私は神社の鳥居をくぐる際に威圧感を覚えることが度々あるが、それは、そこに霊界と人間界との結びつきを見出そうとしているからか。

③総合

本書の中でも特に関心を引いたのは「山人」についての柳田の考察だ。それは古来から山に住み着く人々で、男も女も共に野性的かつ有閑的であるが、人懐こく、時には里の農民に食物を求めるという。柳田がこれを穀潰しではなく、「帰化運動の大一歩」と捉えている点は大変興味深い。合理主義がすっかり浸透した現代においても、私たちが山に入る際に畏怖を覚えるのは、高次の存在である山人への憧れのような感情と「日本人とは何か」という柳田の追い求めた問いを無意識のうちに持っているからだろう。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?