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辞書ってそういうものなのかと今更認識した話

そんなの常識だと言われるかもしれませんが、今まで何となく誤解していた事を書きます。 それは辞書の立ち位置です。世間と辞書の主従関係です。

例えば、国語辞典は「言葉の意味を定めている物」という認識がありました。
しかし、この認識は間違いでした。国語辞典は言葉を定めていませんし、定義もしていません。国語辞典の側が世の中に従っているだけなのです。
つまり世間が「主」で、辞書が「従」です。

ですので、辞書に書いてある事が正しい、と言うニュアンスは少し違うわけです。辞書は、世間ではこんな意味で使われています、と教えてくれるだけなのです。

言葉は、時代と共に変化します。
なので、何が正しいかの定義ではなく、現時点でどういう意味で使われているのかを記す事が辞書の目的です。

無意識のうちに言葉を定義しているのは私たち世間なのです。言語学者が定義しているのではありません。言語学者は、世間を見渡してその言葉がどういう意味で使われているかを日々研究し、辞書にフィードバックしているだけです。

ここからは蛇足になりますが、この事を意識したきっかけは「全然◯◯だ」という言葉の使い方が、ある時から変わり始めたと思ったからです。ある程度の年齢の人であれば「全然」の後は否定的な言葉がくるのが自然であったはずです。
例えば「全然良くない」 「全然できなかった」などです。

しかし、何年くらい前か忘れましたが、全然の後に肯定言葉を繋げるのが流行りだしました。「全然OK」「全然できます」などです。
今は、全く違和感がありませんが、当時は面白言葉のような感じで流行り始めたんだと思っていました。

しかし、一時の流行りではなく、その後も多くの人がそういう使い方をするようになり今に至っているように思えます。

「全然」について調べたところ、明治・大正時代は肯定の前に使っていたとの事。
つまり、大昔は、(全然+肯定)だったのがいつの間にか(全然+否定)になり、近年また(全然+肯定)に戻ったという事になります。
今はまだ過渡期なのか、どちらの使い方をしても違和感がありませんが。

言葉はコニュニケーションツールであり、その目的は意思の疎通です。
それは自然発生したものであり、我々が定義して使い始めたものではないです。 平安の万葉集や古今和歌集ができた時代の言葉は今とはかなり違いますし、現在においても方言は存在しています。その時代や地域の人たちは日常的に使っていて、意思疎通をしているわけです。

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