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喜びの限界(満足は持続できるか!?)

楽しかったものは、いずれ普通に感じてくる。
美味しかったものが、いずれ普通の味に感じてくる。

毎日それをやれば、だんだんと慣れて、普通になってしまう。
だから楽しい事も、美味しい物も、初めに感じた喜びが消える。

ハードルを上げたままにしておくと、そのハードルは簡単に飛び越えられるようになってしまう。 それが困難のハードルならいいが、楽しさや美味しさのハードルなら、不幸な話である。

だから、ハードルは上げっぱなしにせず、ほどほどの所まで下ろしておく。

同じ理由で、人から評価されて得る満足感も、慣れてしまう為に満たされる事はない。

初めは10で大満足したかもしれないが、それが続けば満足は薄れ、100を得た人が羨ましくなる。 1000や10000なんて夢の夢だと思っていても、いざそこに到達したら、その状態が当たり前になり嬉しさは消える。

刺激には必ず慣れてしまうのです。誰にでも心当たりがあるはずです。
頭のいい人であれば、テストが100点だった時、その都度幸福感MAXにはなりません。 むしろ90点だった時の落胆の方が大きく、100点は嬉しいというより、とれてホッとするわけです。

足の速い人であれば、毎回トップは当たり前で、そんなに喜びはないでしょう。 先ほどと同じに、むしろ2位になってしまわないかという不安が先に立ちます。

いつも50点しかとれない人から見れば、なんて羨ましい、100点ばかりで大満足なんだろうなと思うわけです。 しかし、どんな点であろうとそれが普通になったら満足感は薄れるのです。

ハードルは上がり続けるだけです。 だから富豪は宇宙に行ったり、深海に潜ったりと、上げ切ったハードルの更に上を行く様な行動に走るのでしょう。

ハードルを上げる事なく継続する満足とは何なのか?
日常での楽しみであれば、前述の通りハードルを上げたままにしない事で済みますが、それが通用しないケースが沢山あります。100点を取った時の満足を得たい為に、普段は悪い点数をとるなんて事はできないわけです。

最後に私が言いたい結論です。
ハードルを上げ続けないと維持できない満足とは、相対比較の満足と言えます。
相対比較では一時の満足しか得られないと悟る事です。(足るを知る)

しかし、中には満足を維持できる人がいます。
それは謙虚な気持ちを持っている人です。
常に「自分の実力以上の事ができている」と考えられるからです。 
もし、「自分はこんなもんじゃない」と思った時点で満足は消え去るでしょう。


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