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危険と隣り合わせということ。

どうもこんばんは、子どもたちのバドミントンが上達してきて負けられないと意気込んでいるいかちゃんです。

今日は午後からこどもたちと一緒に大工仕事をしました。
僕はカウンターを作らなくちゃいけなくて一人で作業をしていたのですが、途中から子どもたちが作業場に来て、木の切れ端やボンドや釘などを使ってなにやらつくり始めたのです。
そしてかんなで木を削ってみたり、釘をかなづちで木に打ち付けたり。
かれこれ2時間くらいは続けていました。
こどもたちは工作が好きなんだなぁという感じです。
僕もものづくりが好きですが、子どもたちも同じようで嬉しいです。

大工道具というのは安全なものばかりではありません。
かんなものみも一つ間違えれば手を切ったりします。
普通なら「危ないからやめておけ」と言いたくなりますが、あえてそのままやらせました。
たまにかなづちで手を打って「痛い!もうやめる!」と言っていましたが、そのまま続けていました。
何を作っているのかとおもったら、マイクラに出てくる「木のツルハシ」でした。
ツルハシのように先端を尖らせるためにのみで少しずつ削っていました。なかなかうまく削ることができず、どうやって道具を使えばいいのかと聞かれたので教えてあげました。
小学2年生と年長でかなづちとのみで木を削っている子どもは日本でも数少ないのではないか、僕はそんなことを思いながら楽しい気持ちというか嬉しい気持ちになっていたのです。

今、この時間を持てているということはとても幸せなことだなあと思います。
あっという間に親のことなど見向きもせずどこかに駆け出していってしまうのでしょう。
一緒にいれる時間をなるべく楽しいものにできたらいいです。
でも一緒にいすぎると色んなことが目に見えてきて、うるさく口を出してしまうことにもなります。
そういう加減が難しいものです。
付かず離れずっていう距離感がいいですね。

肝心のカウンターづくりは少し進みました。
それよりも子どもたちにドキドキワクワクな体験をさせてあげられたことが今日の収穫です。
ホンモノの体験というと大袈裟かもしれないのですが、学校などで教わったり体験したりすることはどうしても一般的なことや危険がないようなこと止まりになってしまいます。

この前の投入堂の登山もそうですが危険が隣り合わせにあるということは人類にとっては当たり前のことなんだと思います。
狩猟採集民は獰猛な動物たちの脅威を常に感じながら生活していたはずなのですから。
当たり前に備わっていることが今は使われてないのかなあと感じます。
安全であることが良いという世界。
本当にそれがいいのかはわかりません。
少なからず子どもには危ないくらいが丁度いいというくらいの気持ちで構えていたいものです。
ではまた。

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