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「環境破壊」「格差」「戦争」は弥生時代に始まったというのは本当か?そして、日本人のルーツとは?遺伝子情報から見る「天孫降臨」

最近、「縄文時代への回帰」が一部でブームになっているようです。簡単にいうと、現在の三悪と言われている「環境破壊」「格差」「戦争」、これらはすべて弥生時代に始まったというものです。目の敵にされている、「所有」という概念や、資本主義の原型がそこにあると言われます。私は正直、数千年前のことが分かるものかと高をくくっています。しかし、それならば、やはり調べてみなければなりません。そこで、次のような問いを立てました。

<問い①>
縄文時代と弥生時代には富の所有や争いの有無といった観点で、明らかな非対称性が存在するのか?

これと同時に日本史最大のミッシングリンクと呼ばれる紀元4世紀の100年間のことがすごく気になりました。つまり、卑弥呼が亡くなった100~150年あとに、奈良の纏向に巨大都市が急遽出現し、そこで歴史上最初の統一政権である大和政権が統治を開始した時期にあたります。日本人のDNAもその頃に固定され、それがそのまま現代日本人として続いているといいます。その歴史上の空白の100年間を埋めるための問いが次のものです。

<問い②>
大和政権はどのようにして成立したか?日本人とは?そして、天皇家のルーツとは?

これらを解くには、考古学、神話、遺伝子など、複数の視点で、それらを絡め合わせることが必要だと思いました。この半年間に読んだ本の一部を紹介します。

<考古学>
松木武彦 人はなぜ戦うのか - 考古学からみた戦争 (中公文庫)
松木武彦 進化考古学の大冒険
松木武彦 旧石器・縄文・弥生・古墳時代 列島創世記 (全集 日本の歴史 1)
寺前直人 文明に抗した弥生の人びと (歴史文化ライブラリー)

<遺伝子学>
斎藤成也 大論争 日本人の起源 (宝島社新書)
篠田謙一 人類の起源-古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」 (中公新書)
川端裕人 我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち (ブルーバックス)

<日本神話>
戸矢学 ニギハヤヒと『先代旧事本紀』: 物部氏の祖神 (河出文庫)
戸矢学 決定版 ヒルコ: 棄てられた謎の神
関裕二 物部氏の正体 (新潮文庫)
関裕二 応神天皇の正体 (河出文庫)
関裕二 アメノヒボコ、謎の真相
安本美典 日本の建国―神武天皇の東征伝承・五つの謎 (勉誠選書)
斎藤英喜 読み替えられた日本神話 (講談社現代新書)
桑子敏雄 感性の哲学 (NHKブックス)
桑子敏雄 風土のなかの神々 ――神話から歴史の時空を行く (筑摩選書)

問い①に関しては、従来のイネのレプリカ法による時代測定法が否定されたことで、縄文と弥生の差異がかえって明確となってきました。10年くらい前から、稲作は縄文時代から始まっていたというのが定説になっていましたが、それが再度覆されて、稲作は弥生時代に始まったと私たち昭和の世代が小学校の時に習った時の形に戻りました。環濠集落という城塞の原型となった集落の出現や、遺体の損傷の特徴、つまり意図的に首を切り落とした痕など、縄文時代にはなかった弥生時代の特徴は明確です。世間で言われるような、「環境破壊」「格差」「戦争」は弥生時代に始まったというのは、どうやら否定できそうにはありません。

問い②に関しては、本で読んだことを箇条書きにし、そのあとで、推論をまとめようと思います。

  • 縄文人がいるところに弥生人が移り住んできて、現代日本人はそれらの混血であるという二重構造が長い間信じられてきた。しかし、最新の説は、縄文人、弥生人、そしてその後に移住してきた中国の江南地方を中心とした民族の移住による三重構造とされる。そして、その比率も、地域差はあるが、概ね、縄文人:弥生人:江南人=15:15:70とされる。つまり、現代日本人のDNAの7割は当時中国南部に住んでいた人のDNAで構成されている。

  • 紀元前1世紀頃、中国を統一した新王朝はさらに南に領土を広げ、揚子江周辺や、そこよりも南に住んでいた人は、国外に退去を迫られた(漢民族による中国支配)

  • 紀元1世紀頃、出雲、タニハ(丹波、丹後、但馬)、越といった日本海沿岸を中心に従来の剣ではなく、太刀を使用する文化が現れた。それらが江南の民の移動と一致する。

  • 天皇家のルーツは秦に滅ぼされた周王朝であり、姓を姫(き)という。

  • 傾斜法という時代測定法を使うと天照大神と卑弥呼は同時代の人物となり、両者は同一人物の可能性がある。

  • 日本神話は、モンゴルを中心とした北方系と中国からベトナムにかけた海洋民族の神話の集合体で、天孫降臨といった天皇家にまつわるものは北方系、大国主命といった在来の神の神話は南方系で出来ている。そのことから、高天ヶ原はモンゴル高原を指すのではないかという説がある。

  • 天孫降臨は2回あった。1回目は饒速日尊。2回目が天皇家の祖先となった瓊瓊杵尊。大伴氏や物部氏などを引き連れた1回目の方が大規模であったが、日本書紀は1回目の降臨を徹底的に隠ぺいしている。しかし、初期天皇の后は、大国主系と饒速日系で占められ、その存在は小さくないことが分かっている。

  • 弥生時代末期、東日本の広範囲で、縄文リバイバルが起こった。弥生式土器の使用をやめ、再び縄文式土器を作り始めた。


ここからが、私の推論です。大和政権とは、周王朝の日本での復活ではないかと思うのです。弥生時代末期、覇権を争っていたのはどうやらこの3つの勢力に絞られるようです。九州の勢力、おそらく大国主命を中心とする出雲・吉備の勢力、タニハに本拠をおき近江や尾張と合従したアメノヒボコの勢力。統一政権を作って、戦いを終わらせようというのは縄文回帰を始めた東国の民ではないかと思います。アメノヒボコも最初は出雲勢力と戦っていましたが(播磨国風土記)、それと和睦し、大国主命を大和に引き入れます(大国主命の幸魂であるオオモノヌシが三輪山に鎮座)。ただ、連合国家といっても国のトップに立つ人には大義名分がいります。それで九州から姫氏を呼んできて、トップに立ってもらったのではないでしょうか(国譲り)。周王朝の正統なら国のトップとして、それ以上ふさわし存在はありません。なぜ、天皇家が九州にいたのか?卑弥呼は、姫氏の子女を表す「姫子(ヒメコ)」であったのではないかと思うのです。天照大神であり、天皇家の祖先にあたります。あるいは、太陽神を幸魂に持つ「日」の御子としての「日御子(ヒミコ)」ならば、さらに天照大神との関連は強くなります。『魏志倭人伝』には、卑弥呼の亡くなった後、巨大な古墳が作られたと書かれています。卑弥呼の墓が作られた後に、西日本一帯に、首長に限って、卑弥呼の墓のあとを追うように巨大な前方後円墳が作られています(京都の椿井大塚山古墳、岡山の浦間茶臼山古墳、福岡の石塚山古墳など)。それだけでも、卑弥呼は、国家統率上の目に見えない大きな存在であったことはほぼ間違いないのです。

上の方で、高天ヶ原はモンゴル高原であるという説を紹介しました。しかし、私は、高天ヶ原はチベットではないかと思うのです。世界の屋根と呼ばれるチベットは、天上界のイメージにぴったりです。そして、チベットには仏教の伝説の聖地シャンバラがあった場所とされます。姫氏は周の滅亡から、チベット、モンゴル、朝鮮半島を経て、鉄文化や農耕文化と一緒に、九州に入り、そこで弥生文化を根付かせたのでないでしょうか。ずっとあとの時代、日本に仏教が入ってきた時、時の天皇は、あっさり神道を捨て、仏教に鞍替えしようとします。神道を守るためにかつて大国主命の配下であった物部氏は仏教の導入に猛反対し、滅ぼされてしまいます。神道は大国主命の御霊を祀ったものとされます。天皇家が仏教の聖地であるシャンバラにゆかりがあるのなら、神道を廃し、国家宗教を仏教に替えようとしたのには納得がいきます。

私が高天ヶ原とはチベットのことではないかと言ったのには根拠があります。遺伝子の話になりますが、ハプログループD (Y染色体)の「CTS3946」は日本人と今のチベットの人にしか存在しないといいます。日本人の遺伝子の背景に、チベットの存在を紐付けようとしたら、「天孫降臨」以外には考えつかないものです。


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