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キャリアにおけるシンクロニシティ  ~ベクションと多次元選択仮説~

(注:かたく始まりますが、最後はスピリチュアルな内容です。時間の無駄だっという感情が起こりそうな方は、読まないことをお勧めします)

キャリデザインは、大きく分けて、2つの種類に分かれると思います。一つが、キャリデザイン研修などでよく行われるバックキャスティング的なもの。つまり、将来のありたい姿を定めて、そこから引き算して、今の自分との差分を埋めていくもの。そして、もう一つが、クランボルツ博士が提唱するような、偶発性を計画していくようなアプローチです。

前者は因果関係がはっきりしており、直線線的なアプローチが可能な分、目標を達成するためには非常に有用なアプローチといえるでしょう。一方で、後者は、仏教的な表現を使うと、前者の「因果」に対して、「縁起」的なアプローチということができます。「縁」を手繰り寄せるわけですから、非直線的な、複雑系アプローチと呼ぶことができます。

この2つを複合的に使いこなせたらというのは簡単ですが、個人的には、対象者の年齢によって、その入り混じってくるバランスは変わってくるのだと思います。

若い時は比較的単純です。ありたい将来像に向かって、そのためのスキルや人脈を増やしていったらいいのですから。ただし、40歳あたりを超えてくると、直線的なアプローチだけでは限界がきます。一つは転職の失敗などによるキャリアの断絶、もう一つは、これ以上昇進がないとわかる、いわゆるキャリアの斜陽化です。中高年の転職が、「縁」や「コネ」に頼らざるを得ないのは、直線的アプローチの限界が表面化したものだといえるでしょう。

となると、より良いキャリアを築いていくために、その「縁起」をコントロールできないかと思うのが人間の性(さが)です。

誤解を恐れずにいうなら、「縁」という線が、目に見えないところを漂っており、その線の交点が、そしてそこで起生するものが、「縁起」であると思うのです。例えば、ユングのいう「シンクロニシティ」、南方熊楠のいう「萃点」がそれに近いものです。

ここからは、その「点」をつかまえるには、という考察に入ります。ひょっとしたら、キャリデザインというより、ライフデザインといった、もっと大きなスコープで捉えたほうが分かりよいかもしれません。

みなさんは、「ベクション」という現象をご存じでしょうか?電車に乗っているとき、ホームで電車がすれ違ったりしますよね。ホームの向かいに停まっている電車が動きだしたとき、自分の電車が動いたと錯覚して、重心を移したりして動いてしまう。こういった経験は誰しも経験済みだと思います。

ここで地動説と天動説のお話です。我々は1つの地表に生きていて、そこで自らが(!)動いています。では、この逆はあり得るのでしょうか?つまり、我々は常に止まっていて、動いているのは世界のほうだと。さっきの「ベクション」を思い出してください。動いたのは、自分の電車ではなく、向かいの電車でしたね。でもあなたは、自分の電車が動いたと錯覚を起こしました。コペルニクスが地動説を唱えても、誰も信じませんでした。あなたは動いているのは自分ではなく世界のほうだと言われたら、信じられますか?

これでようやく、「縁起」について、書くことができます。先程、「「縁」という線が、目に見えないところを漂っており」という表現を使いました。この表現についてはあまり違和感がなかったはずです。しかし、いきなり、「あなたは止まっていて、世界が動いている」といっても分からなかったはずです。そのため、「ベクション」を挟みました。

「縁」というのが、多次元のことだと思ってほしかったのです。

世の中には、実際に多次元を生きている人がいます。実際に、オンラインで経験したことですが、その彼は、当時、4つの次元を同時に生きていると言っていました。パソコンの前に座って、オンラインで会話している自分、街を歩いている自分、パソコンに向かって作業している自分(もう一つは忘れました)、どれもリアルな感覚だというのです。

現実は1つに決まっていて、残りは幻視であると言うことなかれ。感覚器からの情報を脳で処理してそれを現実と認識している我々にとって、誰一人として現実を正確に知ることなど、不可能ではないですか。ヤーコプ・フォン・ユクスキュルの「環世界」、ジャック・ラカンのいう「想像界」など照らし合わせても、我々が認識している現実は、一人ひとり、異なっています。

もうそろそろ締めなきゃいけないのですが、私は、なんとなく、多次元、つまり、「動く世界」を、電車という対象物でもって想像しています。例えば、あなたが架空のプラットフォームの上に立っていて、そしてどれか、自分で選んで好きな電車に乗ることになっているとしたら・・・。もちろん、行先は、自分が行きたい「交点」です。それに向かって「縁」に乗る感覚です(量子力学的にいうと、あなたは同時に複数の電車に乗れます)。

電車の色、内装、そして乗っている人たち、いろんなものが、選ぶための情報として入ってきます。そして、多くのスピリチュアルの先達のことばを借りれば・・・、もっとも「ワクワク」する電車に乗ればよい、シンプルですが、それが結論です。


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