美談で子どもたちの命を救うことはできない
生きのびるための「失敗」入門
若いころの失敗談を、ただの失敗談として子どもたちに聞かせる。
その重要性を説いた本です。
過去の失敗談を話す時に
「だから今の自分がある」
「だから今の成功がある」
という美談にしてしまいがちですが、
子どもたちが聞きたいのはそういう美談ではありません。
普通に生きているように見える大人たちにも、
実は暗黒の時代があって、
惨めで情けなくて恥ずかしい過去があったんだという話を
子どもたちは聞きたい。
その辺の普通の大人たちが、
自分の惨めさや情けなさ、
失敗を美談にせず語ることは、
子どもたちの命を救うことにもなると著者は言います。
今の日本はほんのわずかな失敗も許されない社会になってしまいました。
子どもたちにとって今の日本はひたすら恐ろしいだけの国です。
コロナのせいで思い描いていたような学生生活が送れなかったり、
学生の就職が厳しかったりするのは、
どう考えたって本人のせいではないのに、
「努力が足りないからだ」
「社会のせいにするな」
といった社会からの強迫観念じみたものを感じます。
すべてお前が悪いのだという価値観は、
場合によっては当人を殺してしまうことさえあります。
私の失敗談
さて、ここまで書いておいて、
自分の失敗談を書かないのもちょっとズルイ気がするので、
私自身の若いころの失敗談を書いておきたいと思います。
高校の通学時間を考えなかったのは失敗だった
私が失敗したなと思ったのは、高校選び。
私は中学生時代の成績がそこそこ良かったため、
高校は私立で特待制度を利用したいと考えました。
いくつかの高校を受験して、
一番特待制度の内容が良かったところに入学しました。
しかしこれが失敗でした。
通学時間が片道1時間半かかるところだったのです。
自転車、電車、バスを乗り継いで通学しました。
せめてバスを使わなくても通える高校にしておけば良かった。
もっと通学時間のかからない高校を選んでいれば、
空いた時間を勉強に費やすことだってできたのに。
あまりにも通学時間がかかり過ぎるのって、時間の無駄です。
パーマをかけたのは失敗だった
もう一つ、高校デビューで失敗した話をしようかな。
中学の時は、髪にパーマをかけるのに憧れていました。
髪をチリチリにしてみたかったのです。
中学を卒業して、ついに憧れのパーマをかけてみた!
でも全然似合ってなかった。
美容院でパーマかけもらったけど、
強く髪を巻き付けるから痛いし、
お金も時間もかかるしで全然良いことなかった。
結局パーマをかけるのはすぐやめちゃいました。