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"生きづらさ"を抱えた方々に勇気を与えたい。というわけで、『幸福論ノオト』をはじめました。

皆さんは今、幸せですか?

阿佐ヶ谷姉妹のネタのような導入ですみません。カラムーチョ伊地知です。怪しい者ではありません。

この度、僕が企画・編集をしている『ニソクノワラジ』内の企画で、『幸福論ノオト』という企画をスタートさせました。

コンセプトは「"幸福"について見つめなおす」

この「見つめなおす」が今回の企画のキモになっていまして、"幸せの形”や"幸せになる方法”を提示するのではなく、あくまでインタビュイーの方々と、インタビューという議論を通して、"幸せ”の形について改めて考える、というのが目的です。

しつこいようですが、去年の10月、僕は病気になってですね。

病気になって、『ペルソナ5』をやり続けるサイボーグとなった暗黒期に、改めて"幸福"について考えたんですよね。

"幸せ"ってなんぞや?

"人間が幸せ"である状態とはなんぞや?と。

幸せって、具体性を帯びていませんよね。幸せという概念自体は、真空的で、物理的じゃないな、と思ったんです。

だからその"幸せ"という、実態のないものを追いかけて、人間は苦しくなるんじゃないか。それが結果的に"生きづらさ"につながっているんじゃないか、と。ひいては、その"幸せ"を追い求めることによって、"不幸"を呼び寄せてしまう、なんて本末転倒的なことも起こりうる。

僕は病気になって"不幸"ではないものの、やっぱり"生きづらさ”を抱えたんですよね。行政的な保障、救済措置にはもちろん助けられましたし、周りの方々は優しい声をかけてくださり、僕を責めるような言葉はありませんでした。これには本当に感謝しています。

ですが、やはり、僕の心の奥底の根源的な部分、(『夜空ノムコウ』でいう所の「心の柔らかい場所」ですね)そこに"生きづらさ"があると感じたんですよね。

ある時、ふと、その"生きづらさ"の正体は「固定観念」なんじゃないかと思ったんです。

男なら、会社員じゃなないとダメ。

稼いでないとダメ。

キャリアビジョンを持っていないとダメ。

というような無意識下の固定観念が、僕を縛っていたんじゃないか。これは僕の人生で、実家で生活してい時に親に言われたことだったり、就活生だった時の風潮だったり、就活に失敗してフリーターをしていた時の世間の目だったり、そういった一見小さな小さな要素が、いつの間にか心の奥底に無意識に沈殿していて、ワイヤーのようにガチガチに僕を縛っていたんじゃないのかと。それが今回の病気によって"生きづらさ"という形で発露したんだとふと思ったんですよね。

僕は上に記した「〇〇じゃないとダメ」いわゆる"べき"から外れてしまった自分に負い目を感じていたんです。

さらに、インターネットやSNSで、他人の"幸福"と自分の現状を比較してしまうのも悪いクセでした。

同世代はどんどん世の中で活躍している。どんどん発信している。なのに、俺は家にこもってゲームばかり。

その鬱々とした気持ちで、足場は徐々に狭くなり、居場所がなくなるような気持ち。息ができなくなる。溺れゆく感覚に似ていました。

でもですね。

いざ、「主夫」や「病気で退職して今は肩書なんてないんですよー(笑)」って開き直って話してみると、みなさん「面白いですねー!」って言ってくださって。「男だからこうする"べき"」なんて言う方は誰もいなかったんです。これで気持ちがめちゃくちゃ楽になってですね。

なるほど。こういう生き方もあるんだな、と今まで抱えていた"生きづらさ"が解きほぐされるような気がしたんです。

"べき"に縛られない生き方。生活。"幸福"の一つの形だな、と。

もしかしたら、僕のように「固定観念」に縛られて苦しんでいる人がいるかもしれない。世の中で固定化された"幸福"の形に苦しんでいる人がいるかもしれない。

そんな人たちに「こんな生き方、"幸福"の形もあるんだ!」って勇気が湧いてくるような企画をしたいと思いました。

そんな理由から、『幸福論ノオト』を思いつき、立ち上げました。

誰しもが心の奥底に持っている"幸福論"に触れて、"幸福"について俯瞰した視点から見つめ直してみるのが狙いです。

すみません。長くなりました。

早速、第一弾に、Webメディア『すきだよ』を企画されている、ムラオユイさんを取材させてもらいました。

「結婚と幸福」についてインタビューです。

インタビューして欲しい!喋りたい!という方もぜひお声がけください!

きっと泣いて喜びます。





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