学びと関係性について

オンラインでつながり、ズームなどを使っての直接面と向かって会わない会議も当たり前になってきた。

移動も自粛、出張も自粛、商談も自粛の中、便利なツールではある。
しかし、実際会えないことで、生の熱量、気持ちが伝わりにくいというのはやはりある。
今までお会いしたことのある人とは、今までの印象や信頼感が、オンラインの打ち合わせ以外を補う。
オンライン上で初めてお会いする方との距離感や信頼感の醸成をどうしていくか。
その切磋琢磨がまた面白いと思う。
 
話はがらりと変わるが、「教育」について考えることがある。
「教育」というと教える側から教えられる側への一方向のそれを思い浮かべてしまうので、ここは、「学び」や、「学び方」と言った方がいいかもしれない。

情報や、知識が、教える側に偏ってあり、教えられる側が受動的に学ぶという在り方が、一般的だったように思う。
私個人の日本での経験としては、そうだった。

社会に出て一番「学び」を得たのはどんな時、どんな場だったか。

それは、バールのカウンターの隣に偶然居合わせた、全く異業種の、年齢もバックボーンも違う方々との何気ない会話だった。
自然発生的に異分野の方が集まって行った勉強会であり、時に招かれた茶事で連なり知遇を得た先達の何気ない所作であった。

逆説的にはなるが、関係性が必然ではないが故に、肩書きや素性が要らぬ生身の関係性をもってコミュニケーションできる体験、その体験が一番自身を成長させてくれる機会になると私は思う。

コミュニケーションが多種多様になるなか、コミュニティも今までの一極集中型ではなく、随時連携型分散モデルが今の時代にしっくりくる気がする。
極少数のメトロポリスが社会を支えるのではなく、数多くの風の谷が連帯し社会をかたどるような。

自身も、次の世代も、分散していて常時会えずとも、随時連携できる場や機会を多く生み出し、肩書きや素性が不要なコミュニケーションを学びとしていきたい。

そうして連なる座は、一座を建立し、お互いの生をより豊かに輝かせるだろう。
そう信じて。

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