空中信楽を観た。

空中信楽を観た。
湯木美術館で、本阿弥光甫の信楽の芋頭水指を。

空中斎こと本阿弥光甫は、光悦の孫。
本阿弥の家業は刀剣の鑑定だ。

本阿弥家の末裔の方は陶芸をなさっているが、へらけずりには代々刀を使うらしい。

だから光悦や光甫の作も、刀で削ったところが刀錆をおこしてくるらしい。

その知見を得て、改めて空中信楽を観た。ガラス越しだが、たしかに、妖しく色落ち着き、鈍い錆のような光がここかしこに見えた。

まさに寂。
さびしくもうつくしく、そこにあるのだった。

光悦の茶碗もそうなのだろうか。
改めてまた観たい。

何年か前に、五島美術館に、光悦の書、茶碗等、一堂に会す展覧があった。

書もさまざま。
茶碗もさまざま。

今観たらまた違う発見がありそうだ。

光悦の消息の字は、宗達の金泥銀泥の下絵に和歌書きをしたあの呼吸のような流麗な字ではなく、コロコロして、少しななめ向く、コロ体とも呼びたくなる可愛さ満点の字でかかれているが、手紙という特性から推測するに、師匠である古田織部の消息の手の影響を受けている。

敬愛する師の書く文字、その流れ、運筆、息遣いは、意識せずとも、自身の筆にものるものだろう。

織部の息遣いが分かれば、光悦の息遣いも分かるだろう。
そう信じている。

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