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世界の人々が感じる「日常の小さな幸せ」

こんにちは。世界一周をしながら、各国の学校で授業をやらせてもらっている飯塚直輝です。2010年から12年間勤めた私立中高の英語教員を辞め、2023年3月から旅を始めました。台湾、フィリピン、ベトナム、シンガポール、インドネシア、タイ、ネパール、カンボジア、バングラデシュ、インド、スリランカ、パキスタンの12カ国を訪れ、1300名以上の生徒たちを教えました。

旅の日常はInstagramのストーリーズや動画にアップしています。


カンボジアのフリースクールの子どもたち
バリの英語専門学校の大学生たち

春休みや、夏休みには中高生向けにスタディーツアーを開催し、月1で小中高生向けに「オンライン街歩き」の授業をしているので、興味ある方は別記事を読んでみてください。


今日の世界の話は、人々が心の安定を保つ場所と時間について。


各国の日常の小さな幸せ

夕方のビーチ in フィリピン

フィリピンの小さな島に訪れたことがある。そこの島の人たちは夕方ビーチに集まり、夕陽を見ながらのんびりとした時間を過ごす。子供は鬼ごっこをして遊んだり、女性たちはバレーボール、少年少女はカードゲーム、年寄りはただ夕陽を眺めている。ギターを弾く若い男の周りに、男たちが集まりラムコークを飲みながら歌を口ずさむ。ギターを弾く男の隣にどこからかやってきた犬が座る。みんな夕陽を見て、波の音を聞きながら、ゆっくりとした時間を過ごす。もちろん彼らは日中は、学校に行き、仕事をしている。でも1日の終わりになると大人も子どもも一緒になり、その日の疲れをリセットする。ビーチという自然と一体化できる場所がフィリピンの人たちにはあった。

電気がない島なので陽が沈んだら、遊べなくなるので自然と帰る

広場でバレー in ベトナム

国が変われば、場所も変わる。ベトナムの北部に位置するHa Giang省には海がない。そういう場所ではどんな夕方の時間を過ごしているのだろう。彼らは夕方になると、広場に人が集まってくる。移動手段は大人も子どももモーターバイクだ。小学生ぐらいからノーヘルでバイクに乗っているらしい(彼らは自転車のようにモーターバイクを使っている)。広場では、少年たちはサッカー、大人たちはバレーボールをしている。大人のバレーに入れてもらい遊んでいた子もいた。とにかくみんな汗をかき、たくさん笑って、日が沈む頃には、お腹が空き、家に帰って腹一杯美味しいご飯を食べる。そうやって毎日の最高の夕飯の時間を作っていた。夕食作りも無理せず、外食やテイクアウトを頻繁に使う。外食もさほど高くないし、とても美味しい。与えられた環境を変えようとせずに、自分に無理することなく、自分たちの時間を大切にしているように思えた。

彼らは毎日サッカーをやりに広場に来る

寺に出かける週末 in インド

インドでヒンドゥー教の寺院 Golden Templeに行った際は、日曜日だったからか、とにかく人が多かった。有名な寺院というだけある。観光で来ている家族もいれば、先生らしき人が学生たちを引率している姿もあった。友達同士で来ている子たちも多くいた。その中で出会ったのが、写真の少年たちだった。彼らは幼馴染や同じ学校の生徒で、全員シーク教徒。髪を染めたり、彼女がいたりと、いわゆる普通の中高生で、毎週末にこの寺院に来ているらしい。日本の中高生が「遊びに行こうぜ」と言って、行き先をお寺にすることはなかなかないと思う。毎週末にここに来る理由を尋ねると「1週間いいことも悪いこともあったけれど、ここに来ると気持ちが清められて、また1週間頑張ってみようと思える」とのこと(この中の一人は今週彼女と別れてしまったらしい)。多感な時期の中高生にとって、訪れれば心が洗われる場所があり、毎週来れる友達がいるのも素晴らしい。ちなみにこのGolden Templeでは無料の食事が提供されていて、一日約10万食が提供されている。

彼らにとって心の安定を乗り戻せる場所が寺院

モスクでコーランを合唱 in パキスタン

パキスタンの夕方にはモスクが一段と輝く。コーランを読む子どもたち、お祈りをする人たちでモスクが溢れかえるのだ。彼らは毎日5回モスクへ行き、お祈りする。有名なモスクには遠くから観光に来るほど。でも基本は、家の近くのモスクを訪れ、いつものメンバーと会い、世間話をする。子どもたちはモスクでお菓子を食べ、笑いあう。でも、コーランを唱えるときは、もちろん真面目に。ちなみに、このモスクには洗い場があり、お祈りの前には必ず、手足、顔、頭、鼻の穴まで洗う。かなり衛生的だ。宗教の慣習が衛生教育を担ってきたこともわかる。地域のコミュニティーと宗教コミュニティーが重なる社会(国)は、それが教育の役割も担う。衛生教育、宗教教育、礼儀やマナーを学び、コーランや歴史についても学ぶ。

お祈りの時は真面目になります

彼らに共通しているのは、大金を稼いでいるわけでもなく、世間に名を馳せているわけでもなく、普通の、というかむしろ、日本人と比べると所得も低い「貧しい」人たちということだ。しかし、彼らは心を安定させ、幸せを感じれる場所やその方法を知っている。

日本に無いものは求めない

日本には、心を安定させるために宗教施設に行く文化、夕方になったら仕事を止めてビーチや公園に行く文化もない。だからといって「日本には宗教が必要だ」「退勤時間を変えるべきだ」みたいな主張をするつもりもない。世界各国にあって日本にない文化を真似して取り入れても、きっとうまくいかない。付け焼き刃的な真似事では、幸せになれないことなんて、誰もが経験的にわかる。日本は日本独自の心が安心できる場所や時間を見つけられればいい。もちろん、日本人という枠組みで語るつもりもなく、個人ごとに、それは違ってもいい。ではその上で、多くの日本人が感じやすい幸せって何だろうか、と。

ストーリーズから見える「日常の小さな幸せ」

僕が世界を旅する中で結構癒されているのは、Instagramのストーリーズを見ているとき。投稿してから24時間経つと消えてしまうストーリーズは、手軽に、気兼ねなく、思いつきで写真や思いをアップできる便利機能だ。ストーリーズを見ていると、「結婚しました」的な大ニュースをアップしている人もいるが、友達の変顔、彼女との2ショット写真、ラーメン、夕陽など、それぞれの日常の小さな幸せの瞬間が載せられている。特に僕のフォローする人たちは食べ物の写真がやけに多い。海外旅行中で日本食に飢えている僕としても思わず「いいね」を押してしまう。

日常の小さな幸せの形は国ごとに違うし、人によっても違う

面白いのは、旅の中で「フォロー」することになった東南アジアの人たちは、食べ物や夕陽の写真は滅多に載せない。別に彼らは日常の食べ物や景色に小さな幸せを見出さないどころか、興味も持っていない。

以前こんなことがあった。僕がどこかの国で夕陽や虹に感動して写真を撮っていたら、現地の子たちに「なぜ空の写真ばかり撮っているの?」と不思議がられた。「すごく綺麗じゃん」と返すと、「そうかな?」と不思議そうに僕を見てくる。彼らは毎日のように見ているからか、そういう感覚を持っていないのかわからないが、夕陽を見て感動することはなかった。

こんなこともあった。学校の授業で「昨日は何食べた?」という質問を子どもたちにした。日本だったら「ハンバーグ」「天ぷら」など料理名で答える子が殆どだろう。しかし、僕が旅した地域の子たちは「Chicken」「Rice」という材料名で答える子が多かった。「いや、それは材料名じゃん」と指摘すると、また不思議そうな顔をされてしまう。その国のレストランに行けば、メニューはあって、そこに料理名も掲載されているはずなのに、子どもたちは必ずと言っていいほど、材料名で答える。彼らは日々何を食べたか、どんな料理が好きか、あまり認識していないし、興味もないことがわかってきて、そんな質問をするのを止めてしまった。自分との違いに驚くばかりだった。

日本は特定の宗教に属する人が多いわけでもなく、夕方の時間は部活や仕事で忙しい。残念ながら海外の人たちのような方法では、心の安定や幸せな感情を手に入れるのは難しそうだ。でも一方で、僕の知っている日本人の方々は日常のちょっと美味しかった食べ物、偶然見れた素敵な景色を自分の幸せに繋げられる人たちなのかもしれないと思う。地震や台風などの災害が多すぎて、当たり前の日常を送れる幸せを得る感覚が身についたのかもしれない。お金を出して何かを消費することで、小さな幸せを買う時代になってしまったのかもしれない。これらは決してポジティブな理由ではないけれど、僕ら日本人が感じられる心の安定や幸せの形だとしたら、それを受け入れて、日常の小さな幸せをいっぱい感じる人生を肯定的に送ればいいんじゃないかと思う。そして、そういう日常の小さな幸せが生まれる条件があるとしたら、少し無理してでも、それを大切にすればいい。

「太ってもいいから、週1でラーメン食べ行こう」
「仕事を中断して、夕陽が見れる時間に散歩に出かけよう」
「バイト頑張って、推しのライブに月1で行こう」

犠牲になるのは体調でも、お金でも、労力でもいい。自分が日常の中で、何に小さな幸せを感じて、それはどのようにして可能になるかが分かれば、多少の犠牲があっても、他人と比較して何か違いがあっても、そんなことはどうでも良くなってしまうのではないかと思う。自分の幸せは自分のものでしかないから。僕が旅した地域の人たちがそうであったように。

あなたの日常の小さな幸せはありますか?それは何ですか?


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