見出し画像

バリの朝陽は、未来の道を照らす

理想の場所。

僕が滞在したバリ島にある教育施設は、子どもたち約50名が寝泊まりする村のような場所です。この「村」にはホールがあり、サッカーができる広場があり、池もあり、遊具がある公園もあります。ここには、そこらじゅうに美味しいものが植えられていて、お腹が減った子どもたちは、スターフルーツやバリオレンジを採り、喉が乾けばココナッツの木に登ります。キャッサバを掘って、洗って、揚げてキャッサバチップスを作る姿も見ました。彼らは、この場所から毎日学校に通い、ここで飯を食べ、ここで寝ています。掃除をし、庭仕事もし、料理も作ります。各家庭には5人程度の子どもたちがいて、役割も決まっており、各家庭の中高生が集まった週1回の会議もあります。まるで村のようです。

集会場、ホール
遊具のある遊び場
サッカーなどできる広場
子どもたちが生活する家
歩けば、誰かしらに会う

彼らはここで寝て、食べて、暮らしています。生きているのです。ここは学校とは大きく異なる場所で、安心できる場であり、何かに迫られる場所ではないのです。

彼らがここで何も学んでいないわけではありません。洗濯、料理、掃除の仕方を学び、植物や動物の世話の仕方まで学びます。バリのダンスの先生、美術の先生、お菓子作りの先生が来て習い事をする日もあります。静かで、ゆったりとした時間が流れ、愛と笑顔が溢れています。

3週間ここで過ごして、もし、僕が日本に帰り、自分で「場」を作るとしたら、こんな場所がいいなと本気で思える場所となりました。僕は村作りをしに、日本に帰るのかもしれません

バリの少年

僕がどこかを訪れると、面白いことに必ず助けになる少年が現れます。RPGで、そう設定されているかのようです。でもきっと僕自身も、そうなるように望んでいて、それが毎回実現しているのではないかと思います。
彼は他のバリ男子たちと比べると、身体も大きくなく、周りの人や動植物にも優しい子。他の友達からからかわれることもありますが、笑顔で相手と接して、いつも愛を与えられる素晴らしい子です。英語を流暢に話せることもあり、何かと僕のサポートをしてくれました。彼の夢はクルーズ船で働き、世界中を旅すること、そして日本を訪れることです。将来彼が就職し、お金を貯めて日本に来れる時が来たら、うちに泊まっていいし、どんな場所にも連れて行ってあげるからね、と約束しました。一緒に日本で寿司を食べられる日が来るといいな。

授業は楽しい

たまたま出会った方が、バリで専門学生(高校卒業〜就職までのcollege stundets)を教える先生で、僕の旅の目的や実際行っていることをお話ししたら、ぜひ学校にきて授業をやってほしいと依頼をしてくれました。連絡先は交換したのですが、結局それがいつになるか、どんな内容かもわからない。困ったなと思っていたら「明日、来て90分授業やってくれない?」と前日の夕方に連絡がありました。しかも、こんな条件付きで。

要約すると、
18歳から22歳の生徒、20人ほどの生徒に以下の2点

  1. どうやったら効果的に英語を身につけることができるか

  2. 英語でどのように手助けを求めるか、そしてその応え方

を教えてほしいとのこと。参ったなと思いながらも、ワクワクしながらスライドを作り始め、結局作り終えたのは、当日の授業直前。

Kaniva Internationalの学生と先生たち

今回の授業では学生たちの実情に合うような授業タスクになるようにしました。

あなたはバリを訪れた外国人が何か困った姿を見つけました。手助けが必要か聞いてみると、近くにいいバリの食べ物が食べられるレストランを探しているようです。バリの料理を食べられるレストランとおすすめのバリ料理、そしてあなたがオススメする理由も伝えてあげましょう

授業スライド

このような状況設定し、それをペアでロールプレイをしました。よくありそうなタスクなのですが、この状況設定が彼らの実情と合致することで、言葉にリアリティーが生まれます。さらに、彼らの実生活に役立つという思いは、英語を話すモチベーションを上げるのです。すると、今度はより彼らの感情が言葉に入ります。こうやって子どもたちは言葉を自分のものにしていくのです。単語を100回書いても、音読を10回しても意味はありません。その言葉と自分が切り離されている限りは、言葉は自分のものになっていくわけがないのです。
受験や定期試験などの表面的で意味のない目標設定することなく、生徒の実情を見つめながらタスクを作ったり、彼らがまだ見ぬ新しい世界を見せ、どんどん授業に没入させていくことが、授業を作る教師の役割だと思います。

老荘思想

「ありのままの姿を認める」「違いを楽しむ」という謳い文句を掲げる教育が最近多くなってきました。理念は素晴らしいのですが、現場でそれを実践するとなると結構難しいことがわかります。学校であれば、子どもたちの違いや、ありのままの行動を認めていたら、集団授業はできなります。(なので個別最適化の授業の流れになります。)「違いを楽しもう」とか言っている大人たちが、違いを楽しまない大人を攻撃してしまったりします。
要は、言うは易しいのですが、行うのは難しいのです。これは仕方ありません。でも、人と自分、理想の自分と今の自分を比較せずに、今の自分を認められたらどんなに楽でしょうか。

柳は緑、花は紅

蘇東坡1037~1101)

「柳は柳。花は花。どちらもそれぞれの美しさがある。柳は花になれないし、花は柳になることはできない。それぞれの違いはそれぞれ美しく、比較できない」という言葉です。また、そこから、物事のあるがままを偏見なく見なさい、という意味も含まれています。今から1000年も前から禅語として今に伝わる言葉です。もっと言えば、老子や荘子が生きていた2000年前から、ありのままに生きることで楽になることは言われていました。何も新しい考えではないのです。5月からなぜか急に仏教に興味を持ち、特に老子、荘子に関する本を読み漁っています。人が幸せになること、幸せに生きるということに関して、何かヒントが得られそうです。

理想の場所を作るとしたらそれはどんな場所になるのだろうか、幸せとは何か。そんなことを考えながら寝て、また朝を迎えます。早起きをして朝陽が照らす「村」を歩くと、「さあ、どんどん進んでいけ」と太陽に背中を押してもらっている気分になります。次の国では、どんな出会いがあり、どんなインスピレーションがもらえるのでしょうか。自分らしく、旅先で結ばれる縁に感謝をしながら、歩き続けていこうと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?