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第四十一話 いま歩む奥の細道


「いやいや、それがソーイですからね、従わなくっちゃならんでしょうな」
ワイドショーで解説者がご宣託を述べる。
ふむふむ。
「ソーイ、SOUI、そうい、総意・・・。政策ばかりではない。協会の運営から町内会の行事、さらに照明でも投票でも、エスカレーターでもエレベーターでも、犬でも猫でも、大根でも人参でも、何でもかんでも総意を探し出してきて衆議一決。異論を出さない空気が醸し出され、全員が無言で首肯。そのおかげで事はスムーズに進み、社会は格段に便利になってくる。有難い「民主主義」もこの総意を基に成り立っている。
陽が昇り、陽が沈む。また陽が昇り、陽が沈む。
何度か繰り返すうちにこの総意はビッグデータと云う真新しいファストファッションを身に纏って現れた。ボンドストリートで誰かが「グローバリズム」と呟いた。それにムンバイの印喬が耳を欹て、チュニスの商人が目聡く飛びついた。
一方、日の出る国では世界に冠たる自動車メーカーと日の出の勢いのIT企業が強力タッグを組んだ。グローバリズムを勝ち抜く必殺技、ビッグデータでインテグレートされた自動運転システムの登場だ。
これで人手不足だったタクシー業界もほっと安堵の息を吐いた。今日も街を縦横に走り回る自動運転タクシーは、乗車拒否もなければ、わざわざ遠回りしての料金ぼったくりとも無縁だ。
所変わって四谷三丁目の交差点。腰が曲がって今にも真二つに折れそうな老婆が手を挙げて自動運転タクシーを拾った。右手には古びた信玄袋を、左手にはこれも古びた分厚い男物のロレックスを嵌めている。
「お客さん、釣銭がないのならタクシーなんか乗らないでくださいよ」、なんて不愉快な応対もない。芸能ネタを振って運転手の機嫌を伺う必要もない。
自動運転タクシーは行き先を告げれば、後は寝ていても目的地まで連れて行ってくれる。画像認識機能が働いて、老婆の喜ぶ昭和の懐メロも車内に流してくれる。
初秋の新宿通りにはウェハースの会話が飛び交い、街角は慇懃な無礼で満ちている。四ツ谷駅の手前を右に折れて迎賓館を通り過ぎた辺りから老婆は眠気を催した。無理もない、何の気配りも求めないタクシーの中ほど居眠りに適した場所など、この世の中に在るだろうか。
どれくらい微睡んだのだろうか。老婆は路面の凹凸に揺り動かされて眠りから覚めた。車窓を背の高い木立が走り去る。見慣れない針葉樹の森である。老婆は急に不安になった。何故って、告げた行き先とは場違いの場所をタクシーは黙々と走っているのだ。
老婆は声を掛けようとしたが、運転席には誰もいない。タクシーは構わず険しい山道をぐんぐん進む。老婆の不安はますます募る。窓を少しだけ開け、外の空気を入れてみる。子供の頃に嗅いだ杉の清冽な香りが鼻孔をくすぐった。
やがてタクシーは小気味よいブレーキ音を立てて、木立に囲まれた小さな広場に停まった。料金メーターは三四八〇円を指している。料金を払わないとドアは開かない。老婆がクレジットカードをリーダーに差し込むと、残金は三百円になってしまった。液晶の表示板に現れた300と云うデジタル表示を見て老婆は胸が詰まった。清算が済むとタクシーは踵を返し、無言で来た道を帰っていった。
老婆は広場に一人取り残された。
山の天気は変わりやすい。いつしか低い雲が天蓋を覆って、いまにも雨が落ちてきそうだ。
老婆は不安に駆られて誰かいないかと辺りを見回した。すると一枚の電飾看板が目に入った。そこにはこう書かれていた。
「ようこそ姥捨て山に。ビックデータが導き出した総意が、あなたをこの姥捨て山にご案内しました。さあ麗しい総意に感謝し、夢と希望に満ちた一歩を、未来に向かって踏み出しましょう」
老婆はその電飾看板を読み終わると、得心したように、更に山奥へと続く細い道をぽつりぽつりと歩き出した。
老婆が去った後の広場には、杉の木立が眠るように立ち尽くしていた。

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