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第百二話 狡猾な藁しべ長者

種を売る男が村にやってきた
「さあさ、御用とお急ぎでない方は寄ってらっしゃい見てらっしゃい」
男はその地の中心街の四辻に「奇跡的品種改良の賜物! 種なしブドウの種、直売」と大書した幟を立てた。
「この種なしブドウの種はですね、当社と提携する、筑波に在る全国でも最高峰の農事試験場で失敗に失敗を重ね、それでも諦めることなく二十年の歳月をかけてやっと開発に漕ぎつけた奇跡の種です。他所ではけして手に入らない珍しいものでございます」
そこに一人の老人が通りかかった。
「この前も、お金の成る木を売りに来た男がおった。その種はな、百円玉そっくりで、その種を植えると収穫期には一本の木から十個ほどの百円玉が成ると言っとったわ。播いた種の十倍になるから、今のうちから老後に備えて買い溜めておかんかと売り込みに来ておったわ」
「それで、その種は売れたんですか」
「いやいや、儂等もいくら田舎者だと云うてもな、それほど阿保ではないし、耄碌もしておらん。そんな子ども騙しの手にはみすみす乗ったりはせんよ。その男はほうほうの体で逃げ帰っていったわ」
「それはそうでしょう。近頃、そんな見え透いたインチキをやる輩が多くて困ったものです。私たちもそいつらと同類に見られて商売がしにくくって仕方ありませんよ。お爺さん、好い話を聞かせてくれて有難う。私ですか、いや違いますよ。そんなインチキ野郎と一緒にしないでくださいよ。私はこういう者です」
男は表裏に印刷された立派な名刺を差し出した。そこには「全日本種無し葡萄普及協会理事長 長谷川太一」と明朝の太い文字で黒々と書かれていた。
「ほう、東京からおいでなされたのかね。わざわざ、ご苦労なこってす。でもね、此処の衆は世知辛いから、ちょっとやそっとのことでは財布の紐は緩まんです」
名刺を男に返そうとした。
男は「まま、そのままに」と言って、返された名刺をまた押し返した。
「ところでお爺さん、この村の中心は何処ですか。それにしてもまただだっ広い村ですね。村役場や郵便局、学校や病院が在る場所を教えてくれませんか」
「村の中心ねぇ。この村にはもう中心なんてものは無えよ。病院も学校も、とうの昔に無くなっちまったのさ。中心と云えば此処も中心、あそこも、あの森の淵を流れる川も中心、みんな中心さ」
男はお爺さんの訳の判らない返事に頭を抱えてしまった。
人を集めないことには商売は始まらない。その村で道すがら一人、二人と村人を捉まえても、そんな人数では商売にならない。そこで男は一計を案じて消防署に向かうことにした。消防署のサイレンを鳴らして村人を集めてもらおうとしたのだ。しかし、消防署は長い間使われていないらしく、廃屋のような有様だった。男は困り果てて腕を組み、空を見上げた。男の視界に火の見櫓が入った。
「そうか、これだ」
男は足元に落ちていた拳大の大きさの石を拾うと、火の見櫓に向かった。錆びた鉄製の階段を天辺まで登ると、徐にポケットから石を取り出し、激しく半鐘に打ち付けた。男の耳元で半鐘は狂ったような音を村中に響かせた。男は眩暈がして、あやうく櫓から足を踏み外しそうになった。久し振りに半鐘の音を聞きつけた村人たちが火の見櫓の下に集まってきた。
村人が三々五々集まったのを見届けた男はスルスルと火の見櫓から降りてきた。
村人を前にした男は開口一番、「さあさ、御用とお急ぎでない方は寄ってらっしゃい見てらっしゃい」
先ほどの口上を始めた。
だが、村人は一向に関心を示さない。示さないばかりか薄ら笑いさえ浮かべる始末だった。男のいつもの手口はとんと通用しそうになかった。
「はてはて、困ったものだ。前に来た詐欺師が荒らしていったお陰で、村人はこの手の商売にはすっかり世知辛くなってしまっている。種を売ってお金を巻き上げるのはどうにも難しそうだ」
そこで男は一計を案じた。
「こう財布の紐が堅いんじゃ商売になりっこない。買う気にならないのはきっとお金が惜しくって、それで二の足を踏んでいるのだな。それなら何かお金を出さずに種を売りつける方法はないものか」
男は考え、はたと膝を打った。
「そうか、藁しべ長者の手があったじゃないか。何で今まで想い着かなかったのだろう。藁しべ長者か、名案じゃないか。この種無しブドウの種が巡りめぐって黄金の恵比寿大黒になるやも知れぬ」
男は心の裡でペロリと舌を出した。
集まった村人に脈が無いのを看て取った男は村の中へと歩いていった。
暫く行くと果樹園が道の脇に現われた。果樹園には栗の樹が植えられていて、農夫が妻と一緒に収穫の真っ最中だった。
「こんにちは、ご精がでますね。栗の栽培ですか、それは、それはご苦労様です。栗は高い所に実が生って収穫が大変ですね。それにあのイガイガの皮を剥くのも、棘が手に突き刺さったりして危ないじゃありませんか。どうです、収穫が楽で高く売れるブドウを栽培してみては。今日はですね、市場で人気の種無しブドウの種を遠路はるばる持ってきたんですよ」
「ブドウかね。確かに栗よりは好いかもしれんな。儂等も歳だでな。楽に収穫できるものにそろそろ替えていかんとな。じゃが、生憎買いたくても買う金がないんじゃ」
「いえ、お金なんて滅相も無い。何か代わりに金目のものをいただければそれで結構ですよ」
「金目になるじゃと。生憎うちには何もないんじゃ」
「そうですか、そうですか。それではあの納屋の壁に立てかけてあるスコップはどうですか」
「ああ、スコップかね。あんなもので好ければいいがね。あんなものでお宅は損はしないのかね」
「いえいえ、私どもはそんな欲得で商売しているのじゃございませんよ。あのスコップで十分でございますよ」
そう言うと男はスコップを手に次の商談へと向かった。
スコップを杖代わりに歩いていると、学校が見えてきた。男は校門を潜ると用務員室に向かった。初老の用務員が一人、ストーブで沸かしたお茶を啜っていたのが見えた。無聊を託っていた用務員は話し相手ができて嬉しかったのか、ニンマリと笑った。
「何か御用で」
「いえ、特別これはと云う用事がある訳じゃございません。そこを通りかかったものですから、何だか懐かしくなって寄ってみたんですよ」
男はこの学校の卒業生ではなかったが話の糸口が欲しくて咄嗟に嘘を吐いた。
「ほほう、この学校の卒業生ですか。これは、これは、またご立派になられて」
男は用務員の歯の浮くようなお世辞に、本当に歯槽膿漏の歯が疼いてきた。
「いえ、立派なんて、そんな滅相も無いです」
「嬉しいですね。こうして卒業生が忘れずに訪ねて来てくれるなんて。用務員冥利に尽きますよ。どうです、お茶でも一杯」
用務員に薄い番茶を勧められた男は何となく居心地の悪さを感じつつ、傍らのスコップを撫でた。
「おや、また立派なスコップを。この学校でもね、花壇の手入れをするのに大きめのスコップが欲しいと校長にお願いしようかと思っていたところなんですよ。それにしても立派な」
男は思わずほくそ笑んだ。向こうから餌に飛びついてきてくれたのだ。
「そうですか、花壇の手入れにね。そりゃあこのスコップが有れば百人力ですよ。どうです、そこにぶら下がっているバケツと交換しませんか」
「こんなバケツで好いのかね。こんなガラクタで何だか申し訳ないな」
「いえ、私も卒業生の一人として何かお役に立てればこれに過ぎる幸せはありません」
男は深々とお辞儀をすると学校を後にした。
校門を出ると眼の前は玩具屋だった。男は硝子戸越しにキョロキョロと店の様子を探ろうとした。
「どうぞ、中に入って見ていってください」
背後から声を掛けられたので男はビックリした。
中年のでっぷりと太った小母さんが箒を片手に塵取りを持って立っていた。
「あっ、そうですね、じゃあ遠慮なく」
男は店に入るのに「遠慮なく」と挨拶したことが場違いではなかったかとちょっぴり後悔した。店は玩具や文房具、駄菓子など、この学校の生徒相手に小商いを営んでいるようだった。
「どうですかご商売のほうは、ハッハッハ」
男は先ほどの後悔がなるべく後を引き摺らないように、にこやかに声を掛けた。
「忙しいばっかりで、何せ単価の安いものばかりですから、アハハハハ」
女も男に釣られて笑い交じりの返事を寄越した。
「そうですか、そうですか。店の周りをお掃除ですか、精がでますね」
「子どもたちは幾ら言っても聞かないからねぇ。店の周りにゴミを散らかして、ほら、何しろ学校の真ん前だから、綺麗にしておかないわけにはいかないからねぇ。ところでお前さん、結構なバケツをお持ちだね。そんなバケツを持ってまた何処に」
男は返事に窮した。と云うのも何かはっきりした目的があって物々交換しているわけではなかったからだ。行き当たりばったりの遣り取りが続いているだけなのだ。
男はバケツを持って歩くのも難儀な気がしてきた。
「そうだ、お掃除にはバケツが必要でしょう。ひとつ何かと交換しませんか」
提案した。
すると女は「交換、そうだねこれはどうだろう」と壁に掛かっていた大きな三角定規のセットを指さした。男はこの大きな三角定規を持ち歩くのは御免こうむりたかった。そこで持ち運びに楽そうなトランプの箱を指差して、「これはどうですか」と訊いた。
女はトランプのような安いもので釣り合いがとれるのか暫く考えていたようだったが、「ええ、こんなもので好ければ」と快諾した。
トランプを手に店の外に出ると子どもたちが男を待ち構えていた。
「小父さん、そのトランプで勝負しない」
声を掛けてきた。
男は一も二も無く応諾すると、店の前に置かれたスチールのテーブルでトランプを始めた。ゲームはポーカーの一発勝負だった。
「ところで君たち、勝負するのはいいけれど何を掛けるのかな」
「小父さん、ぼくの家に金の恵比寿大黒があるんだけど、お父さんに内緒であれをあげてもいいよ」
男はあまりにことが上手く運んだので武者震いした。
「金の恵比寿大黒だなんて」
実は男は大のギャンブル好きでトランプはお手の物だった。もう金の恵比寿大黒は手に入れたも同然だと思った。
だが、トランプを始めると相手の子どもがなかなかの手練れであることが判ってきた。
そして最後には身ぐるみ剥がされてしまった。
男は寒空の下、また火の見櫓に戻ってきて空を見上げた。
錆びた半鐘は冬の強い北風にもびくともせず、静かにぶら下がっていた。

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