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−丹色− 国語嫌いだったぼくがnoteを書いている
ぼくは小1からずっっっっと国語が嫌いだった。文章を書くことも大っっっっ嫌いだった。
なのに、ぼくは今、こうしてつらつらとnoteを書いている。
文章を書くのが好きになったから。
きっかけのひとつは、高校の現代文の先生の一言だと思う。
高1の現代文の授業で、芥川龍之介の『羅生門』を習った。
あらすじはこんな感じ。
ある日、下人が羅生門の下で雨が止むのを待っていた。下人が門の楼に上ると、捨てられた死体の髪を抜き取る老婆がいた。下人が老婆を捕らえて問い詰めると、老婆は「生きるために悪事を働くことは許される」と言い訳をする。すると下人は老婆の着ていた着物を引き剥がして逃げた。
「下人の行方は、誰も知らない」で話は終わる。
この話の続きを自分で考えて書きなさい、という宿題がでた。
うへぇ。
文章書くのが大っっっっ嫌いなぼくにとって、最悪な宿題だ。
いつもは、宿題は〆切前日の夜までに終わらせるマジメなぼくだったが、この宿題は本当に嫌すぎて、〆切当日の朝まで手をつけなかった。
〆切当日になってしまった。
6限にある現代文の授業の最初に提出せねばならない。
昼休みに、仕方なくいやいや書き始めた。
〆切に追われる作家さんに激しく同情した。
ぼくが苦虫を噛み潰したような顔で必死に書いた話の続きは、こんな感じのあらすじだった。
逃げた下人は、老婆から引き剥ぎした着物を売って、その金でしばらく飢えをしのいだ。しかしその金も底をついたので、持っていた刀を仕方なく売って金にした。その金もしばらくすると尽きた。行き所のない下人は、また羅生門で夜を明かそうと考えた。
楼に上ると、また死体の髪を抜く老婆がいた。下人は老婆を捕らえようとしたが、刀を売ってしまっていたことに気づいた。あの日は刀で威圧して老婆を捕らえたが、もはや刀はない。
やがて下人は飢えて死んだ。
途中までいい感じな気がするが、突然下人が死んで話が終わる。
勘のいいあなたは気づくだろうが、途中まで書いたところで、6限の時間になってしまったのだ。
だから、突然下人を死なせて話を終わらせた。
すまん、下人。もう少し生き延びてほしかったんだけど。
ともかく無事に(?)、突然死ミステリーを提出し、ぼくは難を逃れた。
その次の現代文の授業。
「前回出してもらった宿題で、特によくできていた人のを発表します」と先生。
えー楽しみだな、みんなどんなの書いてるんだろう。
2、3人分の作品を先生が読み終えた。
「次が最後ですね」
「下人は着物を売った」
「金が尽きた下人は、持っていた刀を売った」
「下人はまた羅生門へ行った」
え?これ、ぼくのじゃん。
「刀を持っていない下人は、老婆を捕らえられなかった」
ちょっと待って、その後突然下人が飢え死ぬんだよ、恥ずかしいからやめて!
「下人は飢えて死んだ」
やられた。
……突然死に対して、先生から特にコメントはなかった。クラスメイトも普通の顔で聞いている。
ぼくは難を逃れた。
ほっとしていたら、先生が続けた。
「これ、特によく書けていましたね。まるで芥川が書いたような文体でした。」
……まじで?
ぼくの国語コンプレックスが、かすかにほぐれる感じがした。
もちろん、多少のお世辞は入っていたと思う。
ぼくが芥川の足元にも及ばないのは十分承知だ。
でも。
自分が書いた文章を褒めてもらえたのが、とてもとても嬉しかった。
もうちょっとぼくの方から歩み寄れば、およそ10年憎んできた国語と和解できるかも、と思えた。
やがて国語はぼくの武器になった。おかげで東大にも受かった。
そして今、こうしてnoteを書いている。
あの現代文の先生の、あの一言のおかげだ。
ぼくは芥川にはなれないけれど、ぼくの文章で、誰かがハッとしたり、フッとしたり、ホッとしたりしてくれるといいな。
ヒッとさせないように気をつけます。
ヘッと鼻で笑われないように頑張ります。
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【丹色】にいろ
赤土の色。
羅生門の描写に、「所々丹塗りの剥げた、大きな円柱」という記述がある。
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