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瀬戸物

子供の頃、お茶碗や、湯呑みに代表される陶器の事を、セトモノと当たり前のように呼んでいた事を覚えている。東の方に住む者たちの言い方なのだろうか?西の方では、カラツモノ言うのだろうか?

子供の頃、漢字も知らない頃、セトモノという響きは、陶器の事をそのように言う代名詞のような物だと勝手に思っていた。日本中を、世界中を旅した事がないその頃としては、当たり前の発想である。

そして、セトモノというのが、瀬戸物という漢字で表されると知った頃、結びつけたのが、「瀬戸の花嫁」という小柳ルミ子の歌である。
それから、どれくらいの間、セトモノというのは、瀬戸内海の辺りで作られている物だろうという間違った知識の中で生きてきたのだろう。

人生の中で、日本中を、そして世界中を旅する中で、今まで自分の小さな生活空間の中だけでしか手に入らなかった情報を超えて、色々な事実を知り、自身の間違った知識の多さに心の中で恥ずかしさを覚える事が幾度もあった。

歳を重ねて50歳あたりだっただろうか?日本の中を旅する中で、普段はなかなか行かない、岐阜、愛知という地域に足を運ぶようになった。

どうしても遠くの世界を見てみたいと予々思っていたので、若い時は海外、特にヨーロッパ、そして、少し落ち着くと、九州、北海道、四国など日本の知らないところを見てみたいと思いが強かった。

ところが、ある程度歳を取ってから、意外に距離的には関東から近い、その愛知、岐阜辺りに、色々と魅力的な日本の文化が残っている事に気が付かされたのである。

そして、愛知県瀬戸市という存在を知り、セトモノのルーツがそこにあるという事を学んだのである。

セトモノとは、愛知県瀬戸市辺りを中心に日本で初めて本格的に焼かれた陶器中心の焼き物のことのようである。鎌倉時代から釉薬を使って焼いていたという。磁器では、まさに、唐津焼から始まり、九州の有田、伊万里辺りが有名どころなのだろう。

そして、セトモノには、緑色の釉薬で焼く織部焼という代表的な焼き物がある事を知るのである。

それを知って以来、移住先が近いということもあり、折を見て日帰りで、岐阜、愛知辺りをしばらく周り、懐かしい日本の風景を沢山発見した事を今でも覚えている。