「いい音」に対する私の思い込み
人に言いたくて仕方がない事ってないですか?
最近の自身の経験から、科学的根拠は薄いものの、何となくこうなんじゃないかと言う発見の様なもの。
何となく閃いたことが、それって、大きな発見ではないだろうか、なんて一人微笑んでいたりして。
勢いで誰かにその思いを伝えたいけど、誰に話していいかわからないこと。
今朝、起きて、いつもの散歩に出かけたのだけど、途中で急にもようして、へっぴり腰で何とか家まで辿り着こうと頑張っていた時。あ、前方から、知人がやって来て、朝の挨拶だけではなく、最近の四方山話(話の内容は上の空だったけれど)などしばし話して、もう大変。
何とか、その場はやり過ごしたけど、自分の下腹部はやりすごせないほどに。知人を後にして、さらに、50%ほど、へっぴり越しを拡張して、もう誰にも会わないぞと願いながら、小走りでソソクサと、何とか自宅へ戻たどり着き、トイレに駆け込んで、ふーと息を吐いて、用をたしてスッキリとした開放感の後、何となく閃いた。
もしかすると、真空管アンプでは、三極管、シングル、無帰還が最強なのではないだろうか?という仮説。いや、私なりの思い込みだけど。
そこで、早速ロフトへ上がり、今日もいつもの様に朝のレコード鑑賞会を催すことにした。
なぜ、「三極、シングル、無帰還が最強」かと思ったかと言うと、目の前にある6FQ7、三極、シングル、無帰還が思いの外、いい音を奏でてくれる事を発見したから。
元々、Imusiciなどの弦楽、小編成や、ジャズのベース、ドラム、ピアノのトリオを好んで聴いていたのであるが、最近、バックロードホーンの低音に魅了されて、もっと帯域の広い、交響曲を聴こうと、家にあるレコードを漁って一つに束ねてみた。今、それらを片っ端から聴き始めている。
そこで、今朝一番にチャイコフスキーの交響曲4番(カールベーム)を手に取り上げ、DP-500M上のDL-103、MCカートリッジを盤に降ろした。
うーん、私の仮説、いや、思い込みは、益々、いよいよ、説得力を増して来た。
朝から何という気持ちの良い音を奏でていることか。
実は、昨晩まで、負帰還を理論で理解するだけでなく、実際の音を聴いた自分の感性で理解しようと、この、6FQ7シングルアンプに、他人の回路を真似て、負帰還素子を追加して負帰還/無帰還を入れ換えながら聴いていた。
もとは、ダンピングファクターが1に満たない、0.94ほどしかない、この6FQ7アンプを、何とか1以上にしようと一念発起し、負帰還を施すことにした。結果、何とか、1を超える値になったのだが、聴き比べてみると、よくわからないながら、どうも、負帰還のある方は、しっくりこない気がした。自分の中で、真空管アンプ作成本によく書いてある、「負帰還を入れると、データは良くなるが、音は、平板になる」という評判に対する、プラセボ効果ではないよな?と言い聞かせながら聴いていた。
でも、やっぱり無帰還の方が聴いていて気持ち良い。
その結果、この6FQ7シングルアンプは、無帰還にする決断をして、負帰還素子を取り外した。
という事で、チャイ4の後、引き続き、色々な交響曲をかけまくるが、どの、曲を聴いても、音が生々しているし、透き通って聴こえる。それぞれの楽器が各々の配置で鳴り音色がよく聴き取れて、高域から低域まで気持ちが良い。
益々、このアンプには、負帰還はいらないなぁと確信に変わった。
きっと、私が聴いているこの環境、レコードプレーヤー+プリアンプ+6FQ7+バックロードホーンの組み合わせの結果でしかないかもしれないが、このアンプには負帰還はいらない。
この6FQ7は、ヒーターを交流点火にして、ヒーターハムを抑えていて、サー音はリスニングポジションでは皆無。左右のクロストークの影響を避けるために、B電源が左右に分かれたところで、電力増幅段の前に、抵抗とコンデンサーを追加してデカップリング。
そして、私は必ず、12AX7で作ったブリアンプをかましてから、メインへ繋いでいるので、自宅で聴く限りミニワッターとしての非力感も無い。
電源は、安い100V→100Vトランスを半端倍電圧整流+安い6.3V電源を使い、アウトプットも安くて定評のあるT-1200を使っているので、作成費用も20,000円前後。
こんな限られた環境の中だけど、私の閃き的仮説は、「真空管アンプは、三極管(三結)、シングル、無帰還といういちばんシンプルな構成で聴く時が一番気持ちが良くなる。」という事。
そして、その意味は、必ずしも原音に忠実に、もしくは、コンサート会場を再現するという事ではなく、真空管を使ったアンプとスピーカーの組み合わせの楽器を使い、レコードという過去の演奏を記録再生させる音源をリプレイさせることによってリスナーを気持ち良くさせるという観点での音楽鑑賞になるのだと思う。
あくまでも、「いい音」=「気持ちが良い」という観点である。
この仮説、思い込みについては、今後、引き続き音楽鑑賞を繰り返す事によって、より確かな確信に繋げてゆけたらと思う。
そう考えると、感動と楽しさ、気持ちよさを耳元経由で私の心に運んでくれるエンターテイメントを目の前で楽しんでいる事に幸せ感を感じるのである。