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私にとっていい音とは(2)

いい音ってとっても抽象的な表現。
一般的に周波数特性、S/N比など定量的に数値で測ることはできるけど、人それぞれ感じ方が違うし好みもある事なので、これがいい音などと定義することはできない。
特に、もう高音が聴こえてなくなってくる私の年齢では、きっと若い人達が聴いているいい音とはだいぶ違って聴こえるのだろうなと想像する。
しかしながら、いい音オヤジとしては、それでもいい音を取り上げた話題を書かずにはいられない。

子供の頃、親が買ってきたコンポーネントステレオで、レコードプレーヤー+レシーバー+スピーカーの一連のセットが自宅にあり、そこから、音楽鑑賞という世界を知った。カーペンターズが大好きでアルバムが出ると買いに行ったものだ。
その頃は、オーディオに凝るという発想はなく、ひたすら音楽を聴いた。
不思議なもので、今でもその頃聴いた音のイメージを覚えている。
それは、スピーカーに幕がかかった様な音だった。
スピーカーに耳を寄せたり、スピーカーの位置を変えたり、音を大きくしたりしたが、幕がかかった様な音は変わらない。

十代半ばになるとFostexとか、Coralと言ったメーカーのスピーカーユニットを売っているお見せを見つけ、限りあるお小遣いで8cmのフルレンジを買って自分で密閉式の小さなスピーカーを作った。今でいうニアフィールドと言うのだと思うが、畳の上に並べた2台のスピーカーの間に寝そべって聴くと、とってもクリアーで音に包まれた感覚を覚えた。一つ一つの音がくっきり聴こえて、自分が求めていた音に近づいた。でも、低音が全然出なかった。

サラリーマン時代、三十代後半、晴海にあった展示場に業界の展示会があり参加した時のことだった。どこからか、低音の地響きの様な音が私の体には伝わってきた。明らかに音楽の低音で、ドスーンドスーンと伝わる。周りを見渡してもスピーカーが見つからない。え、どこから聴こえてくるのか?とその源を探して広い展示場の中を数十メートル歩くと、そこで業界とは全く関係のない、ボーズ音響研究所の様な名前のブースで、CDラジカセの大きいサイズのシステムから音が出ていることを知った。なんだこれは?!数十メートル離れた場所で、自分の目の前に音場が現れる衝撃を今でも覚えている。
今思えば、無指向性の低音だからできることだったのだろう。
それ以来、5.1チャネルなるシステムでビデオを見るなどボーズにハマった事があった。
しかし、次第に音楽という観点、特に、ボーカルという観点で、どうも納得がいかなくなってきた。低音は、ドスーンドスーンと聞こえるのだが、ボーカルが、要するに、中、高域が遠くの方で霞んで聴こえるので、楽しく無くなってきた。

サラリーマンも終盤に差し掛かった頃、閉店につき中古レコード半額の看板に惹かれて買ったビートルズの赤いジャケット。
そこから、アナログ熱の再燃。レコードをお茶の水で買いあさった。そして、真空管アンプという物を知り、コロナ渦で家に閉じこもり、ネットや本で自作記事を読みふけって、作りまくった。いろいろ調べてゆくうちに、真空管アンプのような非力なアンプにうってつけのバックロードホーンスピーカーという存在を知る。木工家であり、なんでも作ってみたくなる私にはうってつけの題材。真空管アンプを作る傍らバックロードホーンを作りまくる。すると、見えてきた、いや、聴こえてきたのは、漸く満足するいい
音。簡単に言ってしまうと、バランスの良い音。高、中、低音のバランスが良く、目の前の音場がはっきりとして、目をつぶれば目の前で演奏しているように聴こえる音。倍音が出ているせいで気持ちもよくしてくれるが、不自然な感じはしない。もちろん、これは、音楽に携わるプロフェッショナルな方々の作るような音のレベルには到底足元にも及ばないが、私の人生の中で最高にいい音を手にした。

そんなわけで、現在漸く行き着いたいい音は、アナログ+真空管アンプ+バックロードホーンで聴くバランスの整った音楽。
これからも、時が経つうちに私の中のいい音の定義も少しづつ変わってゆくのかもしれないと思うと年を取ってゆくことがワクワクする。

追伸:
子供のころ(ほぼ50年前)聴いていた、コンポーネントステレオのセットの、レコードプレーヤーは健在で今でも毎日いい音を奏でている。このオートリターン機能が、多忙時には必須で手放せない。