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モチベーションってなんだっけ?

 6月。1年の折り返し地点。ああ、もう半年もたってしまった……なんて思いながら、うなだれるようになったのはいつからだったか。そんなことを考えたところでなんの足しにもなりませんが、なぜだか考えてしまいます。

 遠い過去よりも近い過去のことに焦点をあてましょう。

 ここ最近、noteで書いていることがどうも小ネタに走り気味なので、今月くらい創作に関連したことを書いてみたいと思います。


きっかけ

 創作を嗜んでいると、悩みを聞いたり、話したりという交流が少なからずあるでしょう。そこで時々見聞きするのが
「モチベーションが上がらない」、
「みなさんはどうやってモチベーションを上げていますか?」
といったもの。これは創作に限らず、多方面で挙げられる代表的な悩みの1つになるかもしれません。

 誰もが悩むモチベーション。特に長期間の継続的な作業や複数のタスクを必要とすることもある創作の場合、一定の持続性を保つのは難しい。だからこそ、よく見聞きするのかもしれません。

 当たり前のように見聞きしていたので、深く考えることもなくモチベーションという言葉を使っていましたが、モチベーションってそもそもなんだっけな、と素朴な疑問が湧いてきましたので、自分の考えを整理する目的も含め、書いてみることにします。

事例1

 モチベーション。つまりやる気、意欲、動機づけとも呼ばれるものですが、私の場合、小説を書く者同士で聞くので、それに当てはめると、小説を書くという行為に至らない、と翻訳できます。

 疲れているから。至極シンプルな原因を定めることも可能でしょう。実際、仕事や学校の傍ら書いている人は多いでしょうし。

 ただ、モチベーション、やる気が出ない=疲れているから、だけじゃなく、複合的に要因もある気がするのです。

 1つ私が考えているのは、そもそもモチベーションはあるけど、書くに至らない。書けないからモチベーションがない、と思い込んでいる可能性です。

 モチベーションが上がらないと悩みを打ち明けている時点で、実はモチベーションはすでに上がっているのに、書けないというジレンマに陥っていることもあるのではないか。

 この場合、書けないのはモチベーションが上がらないからではなく、書けない理由が別のところにある。

 モチベーションが上がらない⇒書けない

ではなく、

 ???⇒モチベーションが上がらない⇒書けない

ということじゃないかと。

 私の場合、モチベーションが低くなっている時は、知識や技術が不足しているとか、上手くそのシーンを想像できていないとか、書くのに必要なものが足りないことが多いです。

 こうやってなんとなく原因に当てがあれば対処もしやすくなるのですが、必ずしもそうとは限らないのがモチベーションの厄介なところ。自由自在に制御できれば武器にもなると思うのですが。

事例2

 先ほども挙げました、疲れているからというのも実際あると思います。

 風邪を引いた時なんか書く気にもなれませんでしたし、仕事や学校のこともあるので、ちゃんと休まないと明日に差し支えるから無理もできない。無理をすれば、またモチベーションが低くなる可能性もあります。

 睡眠不足という場合もありますね。私も睡眠不足で頭が働かないことがありますから、反省したいところです。

事例3

 病気でも疲れてもないけど、気力が湧いてこないという場合もあるでしょう。

 書きたいものが今のところない。何か書きたいけど、面白そうなアイディアが思い浮かばない。そういうこともあるでしょう。

 動機づけとも呼ばれるように、何かに打ち込むにも突き動かす原動力が必要になります。

 また、精神的な疲れもあるでしょう。環境の変化により気疲れを起こすと、創作に気が向きづらくなってしまいます。

 例えば、大半の方が多かれ少なかれ影響があったコロナに関すること。人によってはちょっと鬱状態になってしまった方もいらっしゃるかもしれません。モチベーションがやる気や意欲という精神的な部分に直結しているなら、精神的な健康は深く関わっている可能性は高いでしょう。

 精神的な健康を保つには、やはり気分の上がることをやるという答えになりますかね。誰しもモチベーションを上げる方法の1つや2つ、持っていると思いますので、私が例を挙げるまでもないしょう。

 しかし、これでも思ったよりモチベーションが上がらない、あるいはまったく上がらないということもあるので、なかなかに難儀です。ということは、原因はまた別のところにある、ということだと思います。

 モチベーションという気分屋を上手く転がしていくのも一苦労ですが、長く続けられ、かつモチベーションが上がらない理由を改めて考えてみるのもいいかもしれません。

補足

 と、ここで終わってもよかったのですが、私のモチベーションとの付き合い方は、上記の方法だけではないので、補足することにします。

 モチベーションという不安定で曖昧なものと付き合うのは骨が折れます。人が過ごす時間の中で、環境も心も変わらないということはありません。だからこそ、モチベーションには波が出てしまう。これは必然なのでしょう。

 そもそも、モチベーションの高低や書けるまでに至るモチベーションの量を、どうやってはかるのか。これは感覚的な主観に頼ってはかっている場合もあるでしょう。

 ですが、モチベーションを客観的にはかる方法がないわけではありません。

 小説の場合、やはり一日に書ける量でしょうか。

 スラスラと書けると満足感や達成感がありますから、モチベーションが上がることはあると思います。ですが、そこまで大差ないこともありますし、モチベーションが上がらない日もあるでしょう。

 これくらいのモチベーションがあれば書ける。または、これくらいのモチベーションがあれば、いつもより書ける。

 これで自分のモチベーションの量をはかることもできそうですが、はかったところでモチベーションを安定的に制御することにはつながらないと判断しました。ということで、私はモチベーションとの付き合い方を見直しました。

 病的な理由以外で、書ける書けないを判断することをやめました。

 とりあえずやってみる。モチベーションが低くてもいいや精神です。

 私は構想する小説をできるだけ多く書きたかった。ですが、モチベーションに左右されて書けない日がたくさん出てしまい、現在複数構想している小説を作れないかもしれない。だったら、書ける量が少なくてもいいからなるべく毎日書けるようにしました。

 確保できる執筆時間は限られているし、心身の健康にも波があるため、書けない日もあります。書ける文量も日によって多い少ないが出てしまいますが、モチベーションいかんによって書けない日は少なくなりました。

 今日の調子ならこれくらいしか書けないんじゃないか、と思いきや、意外と書けるもんだなという日もあります。

 モチベーションが低くても、とりあえず書こうとしてみる。そうしているうちに、自分のポテンシャルと対話しながら執筆する習慣が身についたかなと思います。

 もちろん、全然書けない日もありますが、書けなかったからといって気落ちすることもなくなりました。モチベーションが不安定なもので波があると認識し、もっと書ける日に書ければいいやくらいの気持ちで臨めるようになり、気持ちが楽なりました。

 ですが、やるまでのモチベーションが高まらないこともあるかと思います。とりあえず書いてみるまでの行動に至るモチベーションのコントロールは、実際のところ、難しいのかもしれません。

 モチベーションを高める方法は誰もが持っているかと思いますが、一時的な栄養補給としての機能があるものがほとんどかと思われます。

 モチベーションを高める最大の方法は、一時的な栄養補給よりも、継続的な原動力となる核を持っていれば、誰もが持っているモチベーションを高めるための方法も、より効果を増すのかもしれません。

 つまり、なんのためにやるのかという動機づけ。これを自分の中で明確にしていると、モチベーションが高まりやすくなる。長いこと自主的に創作している中で、そう思えてならないのです。


 いつもよりだいぶ長くなりました。されど、こうしてモチベーションについてここまで考えることもなかったので、私自身より創作意欲を高められた気がします。

 まだ未熟な部分もありますし、書ききれてないものもありますが、地道にやっていこうと思います。

未熟な身ではありますが、一歩ずつ前へ進んでいきたいと思います。