雨夜
雨が降り始めたことに気がついた時、僕はぼんやりと本に目を落としていた。
どれだけ丁寧に文字を追ってみても言葉という記号の枠を越えないままに頭の中で消化されていく。
そんな日もあるかと、お構いなしに頁をめくっていく。
開けた窓から流れる雨音の中にこそ、何か意味のあるものが混じっているのではないかと思えた。
手にした本を今日中に読了しなければならないというわけでもなかった。
ただ雨の降る夜に言葉に触れていたかっただけなのかもしれない。
一種の浄化作用にも似たものを求めていた。
くたくたに疲れ果てた身体は休息を訴えつつあるが、精神あるいは心と呼ばれるものもまた、休息を求めていた。
こんな気持を誰と共有できるだろうか。
そう考えて文字を追っていた僕の目はふと止まった。
止まって視線は窓の方へと向けられた。外は暗い。その暗さの中で幾つもの線が地面を濡らしている所を想像した。
生きているということを生活と呼び、その中から必要な事柄と重要な事柄とを引き抜いた生き方を、果たして生活と呼べるのだろうか。
突発的な自由への憧憬は雨のように僕の思考を湿らせていく。
遠いところで誰かが同じようなことを考えてはしないかと願う。
また、遠いところですら誰もこんな考えを抱いていないのかもしれないと思う。
特別になりたいとかつて望んでいたことを思い返せば、自分の思考の幼さがとてもほほえましく思える。そう思えるほどには今の僕は持ち直したのかもしれない。
けれどそれは。
そこまで考えて、ここから先は考えてはいけないというほとんど脅迫的な意思が働き始める。
目は再び手に持つ本へと落ちる。
言葉を一つ一つ丁寧に追っていき、それらに込められた意味を汲み取ろうとする。
こんな行為に何の意味が。
そこまで考えて、やはり先ほどと同じ意思が僕を止める。
持ち直したと思いたい精神は、結局のところ逃避を繰り返したなれの果てでしかないということは
もうとっくに自覚していた。
雨脚は次第に強くなっていくらしい。
洗い流すという例えがあるように、こんな雨が他の誰でもなくただ僕のためだけに落ちることはないだろうか。
耳に響く静かな雨音は、無意味に僕の思考をかき回したり落ち着かせたりを繰り返す。
雨が降って、心に触れた。
貴方のその気持をいつか僕も 誰かに返せたらなと思います。