才能なんて言葉で片付けないでくれ

初めに書いておく。
これは僕自身の、ただの負け犬の遠吠えだ。

ー ー ー

自分に才能があると思ったことはあるだろうか。
僕の知る限りの狭い世界で言えば、「自分には才能がある」と言い切った人に会ったことはない。

誰かに才能を感じたことがあるだろうか。
僕の知る限りの狭い世界で言えば、ほとんどの人が誰かに才能を感じている。それくらい世の中の人は才能で溢れている。
みんなが自分にしかないものを持っている。

けれど自分に才能があるかと言われるとみんな無いと答える。

この差はなんだろう。

ー ー ー

大学に入って初めて小説というものを書いた。
19歳の時だ。
文芸部に入った僕は、部誌を作るにあたってその作品を書いた。
初めて書くものだから、どう書いていいのか分からず
色々調べたり、読んだり、とにかく努力した。
苦心して何とか書き上げたその作品は、部内でそこそこ高い評価を貰い
「お前才能あるな」と
先輩方から大層褒められた。
その時は単純に嬉しかった。
自分の努力が認められるというのは、どんな場合だって嬉しいものだ。

それから僕は部内で沢山のものを書いた。
部員なら絶対に参加しなければならない年2回刊行される部誌以外にも、沢山書いて、沢山掲載した。
もっと良い文章が書きたいと、努力した。
段々と厳しい評価を貰うようになったけれど
それでも度々「お前才能あるな」と褒められた。

ある日、同級生が1人退部した。

彼の言い分はこうだ。
「俺にはい〜ののような才能がない。中学生からずっと書いてきたけど自信を失くした」

なんだそれは。
彼が僕の文章に才能を感じてくれていたことはまあ嬉しい。
けれどそれを言い訳にするのはどうだ。
何だかモヤモヤとしたものが残り、僕は次第に書く頻度を落とした。
年に2回刊行の部誌にすら、載せないこともあるくらいに。

ー ー ー

大学4年時に、友人と一緒に起業した。
2人で始めた会社は、最初から赤字を垂れ流し続けた。
何とか持ち直そうと必死に努力した。
狭いワンルームで2人して、どうすれば良いのか時には喧嘩しながらも
何とか今日までやってきた。

仕事も落ち着きはじめたある年、それなりに成功してる経営者と食事を共にする機会があった。
そこで色々と起業時の話や、今後の展開などを話した。
聞いた上で彼は言う。
「君らには経営の才能があるのかもね」
その時は単純に喜べなかった。
だってとても苦労したから。

世の中にいる経営の才能がある人間は、電気代が払えないなんてことがあるだろうか。真っ暗な部屋で仮にも会社の経営者が2人して夕飯をおにぎり1個ずつで済ますなんてことがあるだろうか。

僕らには経営の才能が無いと思っていた。
だからとても努力した。
それを才能があると言う彼はなんだ。

ー ー ー

僕の、或いは僕らの努力は才能という言葉に置き換えられていた。
「才能がある」
と言われるのは嬉しいことだ。
今だってそう思う。

けれど違う。

僕は努力してきた。
書くことについても。
仕事についても。
自分で言うのもあれだけれど、それ相応の時間と労力を費やした。
それを才能なんて言葉で片付けないでくれ。

誰かに才能を感じたことがあるだろう。
けれどその誰かは、全く努力してないと言い切れるか。
自分よりは要領が良いかもしれない。
けれど見えないところで努力しているはずだ。
それを才能なんて言葉で片付けないでくれ。

僕の努力は誰かには敵わないかもしれない。
尊敬するあの人に、追いつきたいあの人には届かないのかもしれない。
だけどそれが何だって言うんだ。
僕は僕で、他人は他人だ。
比べるなんておこがましい事じゃないか。

僕は書くことも、今の仕事も好きだ。
楽しいことばかりじゃないのなんて当たり前だ。
でも好きだから努力してきたんだ。
例えそこに、自分よりも遥かに「才能」があるやつが出てきたとしても
僕はそれを理由に諦めるなんてことしたくないんだ。

才能が無いなんて言わないでくれ。
才能があるなんて言わないでくれ。

そんなものがあろうが無かろうが、好きなものは好きだし
やりたいことはやりたいんだ。
そのために必死に努力している奴を笑わないでくれ。

才能が無いなんて笑わないでくれ。
才能があるなんて褒めないでくれ。

何かを諦めることが悪いなんて言わない。
時にはそういう場面もあるだろう。
けれどその言い訳に誰かの才能を使わないでくれ。
その誰かだってきっと影でこっそり努力してるんだ。
諦めるための言葉なんて吐いて捨てるほど見つかるだろう。
けれどその言い訳に自分の才能を使わないでくれ。

結果が出なくても頑張ったから認めてほしいなんて、そんな甘っちょろいこと言ってる訳じゃないんだ。
頑張って結果が出たものを才能なんて言葉で片付けないでくれって言ってるんだ。

けれど才能は実在する。
他人よりも少ない努力で結果を出せる人は実在する。
自分が頑張っていることを、遥かに容易に、あるいはずっと高い所で行っている人がいる。
才能を否定したい訳じゃないんだ。
確かに才能というのは実在する。

だけど違うだろ。
僕はまだ努力が足りない。
才能が無いなんて言葉で片付けてしまうほどの努力をしてきたか。
まだ上があるはずなんだ。
まだ行けるはずなんだ。
みっともないって誰が笑おうが関係ないんだ。
僕の努力を才能なんて言葉で片付けないでくれ。
僕の未熟を才能なんて言葉で片付けないでくれ。
言い訳するなよ。
誰かの才能を諦める言い訳にするなよ。
自分の才能を辞める言い訳にするなよ。
僕には足りないものばかりなんだ。

努力してきたって僕はまだ何も結果を出していないんだ。

才能の裏に努力があること忘れないでくれ。

ー ー ー

あなたは自分に才能があると思ったことがあるだろうか。
無いと
胸を張って言い切ってしまっていいのだろうか。
有ると
胸を張って言い切ってしまえるだろうか。

煽っているわけではない。
蔑んでいるわけでもない。

ただ
自分の努力を、才能なんて言葉で片付けないでほしいんだ。
自分の未熟を、才能なんて言葉で片付けないでほしいんだ。

僕は頑張るよ。
だからあなたも頑張れってことじゃない。

才能が有ろうが無かろうが
僕が諦めたり辞めたりする理由にはなり得ないってことを
ここに書き記しておきたいんだ。

言っただろ。
これは僕自信の、ただの負け犬の遠吠えだって。


貴方のその気持をいつか僕も 誰かに返せたらなと思います。