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言葉は武器にも盾にもならない

自分の書いた文章が初めて認められた時、
初めて女の子とデートに行った時のような高揚感で
夜眠れなかったのを覚えている。

夢中になってたくさん書いて
月末に口座へ金が振り込まれた時
何かとんでもない間違いをしてしまったような気がした。
小さいころ父が大切にしていた服を絵の具で汚してしまった時のような。

高揚感や微かな優越感は消えて
惰性で書き続ける日々が続いた。
月末には書いた分だけの金が入ってきて
書く頻度は最初の頃から随分と減った。
自分が悪いことをしている気分だった。

大学も二年を過ぎ、海外に留学するのを期に
その仕事をすっぱりと辞めてしまった。
代わりと言うのも憚られるけれど
高校の時に書いていた日記を再び書き始めた。

異国の地で塵のように積もっていく母国語は
毎日ほんの二、三行程度のものだったけれど
金に変えていた文章よりもずっと気持ちが良かった。

言葉は武器だと、彼女はそう言った。
守るための武器。
傷つけるための武器。
僕の言葉は一体何から身を守っていて
一体誰を傷つけているのか
わからないまま煩悶する日々があった。

帰国してしばらくして
ブログを始めた。
何の報酬もなく、何の成果もなく
ただ誰かに聞いて欲しい。
そんな欲求だけが燻り続けた。

ブログを始めて少し経って
以前とは別の会社から文章を書く仕事を持ちかけられた。
小さなゲーム会社だった。
当時、ちょっとばかりお金に困っていた僕は
後ろめたさを感じながら引き受けた。
また月末に書いた分だけの金が振り込まれるようになった。

この後ろめたさはどこから来るのだろうと考えて
悩んでいるうちに
言葉は神聖なものだと言われてはっとした。
彼女が武器だと言った意味がわかった気がした。

担当者に謝ってその仕事も辞めてしまった。
良いことをした気分だった。
お年寄りに席を譲った時に感じるような一方的な良心。

あれから数年経った。
今また、こうしてnoteという場所で何の価値もない文章を書き続けている。
保身のためでもなく
傷つけるためでもなく
内側から溢れ出るものを言葉に置き換えている。

言葉ときちんと向き合えているのかどうかはまだわからないけれど
言葉は武器になんてならないよ。
何にもならずにただ在り続けるんだ。
武器だと言って逝った彼女に
そう言えるようになりたいと
僕は書き続けている。

貴方のその気持をいつか僕も 誰かに返せたらなと思います。